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――考えを率直に伝える姿が、周囲からは厳しく見えてしまった?

misono 「病人だから」「がんだから」って同情したり甘やかすのではなくて、家族だからこそ「愛の鞭」というか……。自分ぐらいは厳しく言ってあげようと思っていたんです。病気になったことで、いろいろな人がお見舞いに来て優しくしてくれるので、Nosukeが甘えるようになっているとも感じていました。例えば、病院の方から「もっと歩いてください」と言われてもNosukeは寝てばかりで、歩こうとしない。ちょっと動けば取れるテレビのリモコンでもウチに「取って」と言ったりして。病気になる前のNosukeはそんなことは決して言わなかった。「僕は病人なんだから」という意識が強かったのかなと思います。

――病院にいると、自然と人にやってもらうことが多くなるでしょうし。

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misono 優しい妻だったら、リモコンを渡していたかもしれません。だから、そういう時はNosukeに「リモコンを無言で取ってあげることが、いい嫁なのかな?」と言ったり、病室に共通の知り合いがいるときは「自分はこんなふうに思っているけど、ウチが性格悪いのかな?」と意見を求めたりしていました。

©文藝春秋

ブログをやるかやらないかで大ゲンカ

――Nosukeさんは、病気を「誰にも言いたくない」と考えていたのに、公表したのはなぜなんですか。

misono 病気について、Nosukeは完治してから人に話したいと考えていました。でも、私たちのような仕事をしている以上、病気を公表して、病気そのものを世の中の人に知ってもらい、啓蒙するのも社会的な使命じゃないかと思うんです。早期発見につながって助かる命もあるかもしれないし、同じ病気で悩んでいる人が励まされるかもしれない。Nosuke自身も励みになるかもしれない。だから、ウチは病気を公表して、ブログをすることを勧めました。でも、病気で混乱していた彼には「なぜ、俺のことよりも、世間や社会なのか」と理解できなかった。

――misonoさんの勧めだったんですね。

misono Nosukeからすれば、まだがんのことも受け入れられないときに病気を公表するかどうかや、ブログの話をされて、まるで芸能界の先輩後輩、事務所社長とタレントみたいな会話だと感じたようです。それでもう大ゲンカです。「どんどん夫婦じゃなくなっていく」「神田美苑と結婚したんであって、misonoと結婚したんじゃない」と言われました。毎日のように揉めていました。

 同じミュージシャンでも、ボーカルやタレントとして芸能活動をしていたmisonoと、一番後ろで演奏するドラマーとして活動していた彼とでは、病気の公表について、考え方に違いがあったのだと思います。でも、病気でドラムも叩けず、技術も体力も落ちていく中で、復帰したときに何を仕事にするの? と思っていたんです。 Nosukeの文章が面白いのは知っていたから、ブログならできるんじゃないかと。