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連載『めちゃイケ』、その青春の光と影

「最高33.2%、最低4.5%」『めちゃイケ』歴代視聴率のエグい振り幅――フジ片岡飛鳥の告白

フジテレビ・片岡飛鳥 独占ロングインタビュー#10

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「子供に見せたくない番組」なのに子供から人気だった理由

 僕が思うにそういう作り手の感性って、きっと19~20歳くらいまでに出来上がる。大人になってから磨かれるわけじゃない。どんな部活に入って、どんな先輩がいて、どんな親で、どんな恋人と付き合って、どんな漫画を読んで……みたいなもので決まっていく。で、その自分の感性を信じて演出を突き詰めていけばそこに初めてオリジナリティらしきものが生まれ始める。結局のところディレクターという商売は、最終的に「いかに他人と似てないものを作るか」に尽きる。

 逆に自分の感性に自信を持てずに、番組の会議なんかで「このタレントはみんなが好きらしい」とか「この店はみんなが行ってるらしい」とか「最近、業界では誰もがそう言ってるから」みたいな?……いわば「他者の評価」でものを作るようになってしまうと、タイムテーブルはどんどん似たような顔つきの番組になってしまう。いくら売れていたって長嶋一茂なんか使いたくないというタイプのディレクターがテレビ界にとってはいかに貴重か(笑)…………僕は使いますよ(笑)。面白い人だから。

<「子供に見せたくない番組」というレッテルを貼られ、怒られることも多かったという『めちゃイケ』。実際に2000年に生まれた大人気コーナー「七人のしりとり侍」は、視聴者からのクレームに対応した当時のBPO(現・放送倫理・番組向上機構)の審議の上で、「暴力やイジメを肯定しているとのメッセージを子供たちに伝える」と判断され、テレビ放送の歴史上で極めて前例の少ない「コーナー打ち切り」に(2018年3月31日の最終回では17年ぶりに一夜限りの復活)。
 しかしその反面、岡村の「オファーシリーズ」(→#2#7#8)が時に感動的だったり、番組の最後のナレーションがやけに教育的だったり、『めちゃイケ』が子供に優しく寄り添っていた印象があるのはなぜなのだろうか。>

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大人気コーナーだった「七人のしりとり侍」。「フォッフォッ、フォフォフォ」というゲーム中の妙な掛け声は全国の子供たちがこぞってマネをしたが、「野武士軍団による罰ゲームの袋叩きが学校でのイジメを助長する」とのクレームが多数寄せられ、打ち切りに ©フジテレビ
打ち切りによるコーナー最終回(2001年2月10日)は、本家の映画「七人の侍」のラストシーンをパロディ。しりとり侍たちは「これで学校でのイジメが無くなるのなら喜んで」と“自死”したのだが……過去からのメッセージは18年後の学校教育の現状に重くのしかかっている ©フジテレビ

 あの『めちゃイケ』が実は子供たちに優しく寄り添っていた……なんかいい話ですね(笑)。あえて分析するなら、僕の子供の頃の家庭環境が、まあ……いろんな意味で劣悪でして(笑)。ひとりで面白いテレビを見ている間だけ救われていたと言いますか、そのあたりに起因するのかもしれないです。

 寂しいと思っていた子供がゲラゲラ笑ったり、こういう大人になっちゃいけませんよということがあったり、ああ、岡村さんみたいにがんばろうと思ったり。バラエティですから表現方法は色々あっても最後は笑いで、その番組を見た子供の人生がちょっとだけ変われば、それでいいのになあと思いますけど……。

 誤解の無いように言っておきますが、僕は何も「クレーム上等」とは思ってないし、コンプライアンスも大切だと考えています。これだけ敏感な時代に、それを無視してわざわざ笑いづらいものを作る意味もない。「アレもコレもダメ」と考えないで、「アレとコレ以外は全部OK」という発想をすれば今も面白いものは作れるはずで……けど、じゃあ、誰からもクレームが来ないものを作れますかと言われれば、それは別の話。

「子供の頃、電気の消えた部屋で夜中まで1人でテレビを見ていました。“大人の番組”も無制限に(笑)」