《アングラ演劇》が否定した技術的アプローチ
スタニスラフスキー・システムが日本の《新劇》で採用された理由は、その時、世界の主流だったからでしょう。日本人は、シェイクスピアを輸入するように、スタニスラフスキー・システムを導入したのです。
初期の映画もテレビも、俳優の多くは《新劇》出身でしたから、映像の演技もスタニスラフスキー・システムでした。
その《新劇》を、《アングラ演劇》という存在が否定しました。寺山修司(1935-1983)さんや唐十郎(1940-)さんの名前を聞いたことがあるでしょうか?
《アングラ演劇》は、揺るぎない権威だった《新劇》を乗り越えるために、激しく《新劇》を攻撃し、やみくもに全否定しました。
その時、否定してはいけないものまで、勢いで否定してしまったと僕は思っています。
それは、二つ。「正しい発声とは?」という考え方と「スタニスラフスキー・システム」です。
また、テレビや映画は発展するにつれて、その業界独自に俳優を集めるようになりました。結果、テレビ界や映画界もスタニスラフスキー・システムとの縁が切れました。
「正しい発声」と「演技システム」が俳優を育てる
《アングラ演劇》が激しく攻撃した結果、スタニスラフスキー・システムは格好悪いもの、積極的に取り入れる必要のないもの、というイメージがディレクターや俳優の間で定着したことも理由のひとつだと思います。といって、演劇、テレビ、映画の分野で、俳優を育てるための別な方法が主流になったわけではありません。
1970年代の《アングラ演劇》のブームの後、1980年代には、《小劇場演劇》というブームが起きました。筆者である僕はここに分類されます。すでに《新劇》は否定されていたので、「正しい発声とは?」という考えも「スタニスラフスキー・システム」も《小劇場演劇》には受け継がれませんでした。