【真田宝物資料館】信繁が実際に使用していた品々

 真田庵の境内にある真田宝物資料館には、真田家ゆかりの品々が多数展示されている。スペースはそれほど広くはないが、展示されている品々に囲まれていると、一気に真田三代が活躍した時代にタイムスリップしたような気分になる。歴史ファン、真田ファンにはたまらない資料館だ。

真田軍が戦場で実際に使用していた船幕。おなじみの六文銭があしらわれている。これが実際に合戦場で張られていたかと想像するだけで胸が高鳴る。「紀伊続風土記」には、信繁が九度山を去る前に村の役人をしていた丹波屋又兵衛に贈ったという記録が残されている
信繁が実際に戦場で使用していたという鐙(あぶみ)。鐙とは武士が馬に乗って戦う際に足元を安定させるために馬に装着した馬具。こちらも船幕と同じく、信繁が丹波屋又兵衛に贈呈した物
信繁が使用していた豪華な蒔絵があしらわれた飯盒(弁当箱)。こちらも信繁が九度山から出ていく際に、学文路(かむろ)村の水落氏に与えたと記されている。水落氏は室町時代から存在する地侍の家。戦前、医師をしていたこの家の主が真田庵に寄付した。九度山時代に世話になったからと村人にこれらの品々を贈ったことからも、信繁の義理人情に厚い性格が偲ばれる
昌幸・信繁たちの国許の上田地方では古くから独特の織り技を使って作る「真田紐」が伝えられててきた。縦に引く力に強く、とても丈夫だったので刀の下げ緒に最適と武士にとても喜ばれた。また、伸縮せず、汗を吸い取る便利で丈夫な日常使いの紐として、民衆の間でもタスキや箱紐などに幅広く利用された(写真は真田紐を作る機)。信繁は九度山に蟄居していた間、家臣たちにこの真田紐を作らせて全国各地で行商させることで資金を集めると同時に諸国の情報を収集し、再起に備えたと伝えられている。現在でも真田紐は多くの人々の生活の中で使われている
その他、赤備えの鎧など、真田氏由来の品々がたくさん展示されている

真田宝物資料館
所在地:和歌山県伊都郡九度山町九度山1413(真田庵内)
電話番号:0736-54-2019
交通アクセス:南海電気鉄道高野線「九度山駅」から徒歩10分程度
入館料:200円(要予約:団体でご住職の案内を希望される場合300円)
開館時間:9:00~16:00(年末年始以外無休)

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取材協力/岩倉哲夫氏、真田庵、九度山町産業振興課真田丸推進室