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実際に「生きる力」は育成されたのか

「ゆとり世代」と呼ばれる私が義務教育を受けていた9年間を振り返ると、「総合学習」の時間には、学年全員が体育館に集められ、例えば盲導犬の生涯を描いた『クイール』などの感動的な映画を見せられることが多かったと記憶しています。あんなに懸命で可愛いワンちゃんの映画を強制的に見せられて泣かないわけがなく、女子中学生たちが号泣していたのも鮮烈に覚えています。

 個人的には、義務教育の中で「生きる力」の育成にも重きを置く姿勢には大賛成です。しかし、実際にそういった姿勢の下に教育を受けて育った世代としては、すべての子どもにとって総合学習の時間が有効に活用されていたとは言い切れず、学校によって大きなバラつきが生じている、と実感しています。

 そして「社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成」という目標についても、全国的に見るとまだまだ達成されていないように思えます。

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 例えば冒頭にも触れたように、子どもの発達や子育てに必要不可欠な「科学的根拠のある知識」であるとか、子どもの精神疾患について、義務教育ではほとんど触れられません。ゆえに、そうしたことに知識がない大人たちがいざ子どもを作り、何か子育てで困ったときにその場その場でスマホで調べ、友人やネット経由で間違った情報を共有してしまうことも少なくないでしょう。

「あとは大人になって自分たちで勉強してね!」

 親となる以上は、子どもの発達や成長過程で起こりうる問題については最低限の知識を有しておくべきですし、子どもが健やかに成長できるような環境づくりを常にしておく必要があります。

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 しかし今の日本では実質、この具体的で大事な部分をまるっと「あとは大人になって自分たちで勉強してね!」と本人たちに委ねているため、知識量に大きな格差が生じてしまっているのが現状です。

 とことん子どもの発達について調べて、子どもの健全な成長の障壁となる可能性のあるものをすべて取り除いてから子どもを作る人たちもいれば、一方ではあまり子どものことを理解しないまま、何となく子どもを作って「まぁ、何とかなるだろう」と安易に子育てをスタートした結果、「キャベツ枕」を信じてしまう人もいるわけです。

「正しい情報」がフェイクに埋もれてしまって、本当に必要な人の元に届かない。

 これは「常識がない」と言われる個人の責任ではなく、情報過多の社会全体が抱える、深刻な問題だと思うのです。