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生きていく上で本当に必要な教育とは何か

 では「生きる力」を育成する上で必要な教育、とは一体何か。インターネット上で間違った情報が氾濫している現代において、もっとも重要なのは「正しい情報を見極める力」を養うことではないでしょうか。

 正しい情報を選び取るためには、その分野について最低限の知識を持っておくことが不可欠となります。そうなると、義務教育の段階で「勉学以外の、生きていく上で本当に必要な教育」をある程度はしておくべきで、社会のひとりひとりの知識レベルの底上げが必要になるでしょう。

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 私が通っていた中学校での総合学習の時間は、映画を見るか、主に学年の生徒全体を集めて行われる「お説教の時間」であることがほとんどでした。「性の知識をどこから得たか」というアンケートに答えさせられ、漫画作品『NARUTO』と回答した生徒の犯人探しが始まってめちゃめちゃに怒られていたり、バレンタインデー直前には「チョコレートをもらった、または誰かにあげた者は正直にその場に立て」と言われ、私を含めた「バレンタインデーなどには関係がない風」の生徒も含めて全員が1~2時間かけて懇々とお説教を食らったりと、「この時間を使ってやるべきことがもっと他にあるだろうに」と思うことも多々ありました。

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「総合学習」の時間をそんな風に使うくらいなら、子どもたちにはもう少し社会に出てから役に立つ話をしてあげたほうが、よっぽど「生きる力」が養われ、「社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成」に繋がると思います。

いろんなことをタブー視した結果……

 子どもの精神疾患や政治絡みの話など、大人たちが色んなことに対して「タブー視」を続けたこともあり、子どもは「人生において重要なこと」をほとんど知らないまま大人になってしまう気がします。

 私たちが生きている世界には膨大な問題があるので、それらすべてを義務教育の期間で網羅することは到底不可能だと言えます。だからこそ自力で勉強し、判断することはもちろん必要になってくるわけですが、「そもそも社会にはどんな問題が溢れているのか」を知らなければ、問題意識を持ちようもなく、自主的に勉強すらしようがありません。

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 そのため「個人間の知識量の差」の問題を、「常識がない」という一言で片付けてしまうことは非常にナンセンスで、非生産的な行為であると思うのです。

 日本政府が少子高齢化を危ぶみ、「労働人口の減少を補填するために労働生産性を高める」と唱えているのであれば、せめてこれから大人になる「労働者たち」には、より豊かな人生を歩めるような教育を、できるかぎり学校でやってあげるべき段階に入ったのではないかと、危機感を覚えずにはいられません。

 少子高齢化の日本が労働人口を確保して、数十年後も国として機能し続けるために、義務教育をすでに修了した我々の「常識」も、時代の変化に合わせて少しずつアップデートし、互いに理解しあい、助け合うことができる社会にしなければならないのではないでしょうか。