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「授業中はいつもうわの空だった」発達障害の特性を活かし、国民的漫画家になった2人とは?

「授業中はいつもうわの空だった」発達障害の特性を活かし、国民的漫画家になった2人とは?

新書『天才と発達障害』より

2019/05/06
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母親から「うわの空」を指摘され驚いたももこ

 授業に集中できない彼らは、さくらももこが述べているように、ボンヤリと白昼夢にふけっていた。これはまさにマインド・ワンダリングである。さらに彼女は勝手に「内職」をしているか、あるいは周りの子供にちょっかいを出して先生から注意される。

 ももこ本人は、決してボンヤリなんかしていないと考えていたし、常に何かを考えていたのだから頭もめまぐるしく使っていると思っていたのであったが、母親から「あんたは毎日うわの空で生きているから忘れ物や失敗ばっかりするんだよ」と指摘されてびっくりしたという。

©iStock.com 

 このような不注意さに加えて、ももこは片付けも苦手だった。これもADHDに特徴的な点である。

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 子供時代、ももこは姉と共同の子供部屋で暮らしていたが、彼女は部屋をすぐに散らかしてしまい、そのうえ虫やカエルなどを持ち込んで部屋で飼ったので、姉は嫌がっていたという。さらに姉の持ち物を無断で借りて返さなかったり、勝手に友達を連れてきて大騒ぎをしたりするため、いつも姉に迷惑をかけていた。

 ADHDの当事者の多くは、物を捨てられず、整理ができない。片付けが苦手なのは、細かい部分に注目してしまい、全体をまとめて見ることが苦手なためである。

 ももこは短大に在学中に漫画家としてデビュー。卒業後に上京して就職するが、2カ月で退職している。まもなく雑誌『りぼん』で『ちびまる子ちゃん』の連載を開始し、たちまち国民的な人気作家となったのは周知のとおりである。

生前に親交のあったビートたけしの回想

 生前に親交のあったビートたけしは、さくらももこについて次のように述べている。

「さくらさんと話した中で、よく覚えているのが確かお祖父さんの亡くなった時のことだよ。お祖父さんは亡くなる時に口をポカーンと開けたまま死んじゃって、それを隠すためにほっかむりみたいなのを頭に巻いて納棺したんだって。本当は白いさらしの布がよかったんだけど、見つからないからしかたなく“祭”と赤い字で書かれた手ぬぐいで代用したんだよな。

 それをさくらさんは「ドジョウすくいの人みたいだった」なんて言ってさ。「今にもクネクネ踊り出すかと思って、あたしゃ笑いを堪えるのが大変だったんだから」ってね。

 芸人ならまだしも、女の人が自分の身内をそういう風に引いた目線で見たり、話したりすることはなかなかできないよね。結局、そういうシニカルさというか、ブラックユーモアみたいなセンスがオイラと似ているのかもしれない」(ビートたけし『「さみしさ」の研究』小学館新書)