生まれて初めて買ったレコードは五木ひろしです
――森川さんご自身は日本テレビで何をされていたんですか?
エンジニアとして入社して、プログラミングとか新規事業の立ち上げに携わったりしていました。もともとミュージシャンをやっていて、シンセサイザーが普及したときにこれからの音楽はすべてデジタルになるんじゃないかと思って、筑波大学でコンピュータ工学を専攻したんです。周りは富士通やIBMなどに入社していったんですけど、僕はそれが嫌で、ショービジネスをやるためにテレビ局を受けたんです。でも入ったらコンピュータばかり(笑)。それが今の仕事のきっかけになっていますから、何がどう活きるかはわかりませんね。
――数年後にソニーに移られて、何でも勝手に部署を異動してしまったとか。
ソニーではテレビやオーディオをネットに接続する時代を見据えた事業をやっている部署に配属になったのですが、エレクトロニクスの人たちや工場側からは反発が強くて、なかなか進まなかったんです。まさにアップルが実現させたイメージだったんですが、何も進まないので嫌になって、通信部門のカンパニーに遊びにいったんです。そうしたら新しいブロードバンドサービスを立ち上げようとしているところで、森川くん一緒にやらないかと誘われて、そのままそこで働き続けちゃったんですね。あとから人事の承認が得られたので良かったんですが。
もうみなさん覚えていないかも知れませんが、「WLL(基地局と家庭を無線通信で接続する通信システム)」という通信インフラでNTTに対抗するという巨大な構想があって、ソニーもそこに加わっていたんです。当時は国内のブロードバンド世帯がまだ20万程度で、結局は構想倒れに終わりましたが、動画配信からプレイステーション・オンラインまで一通りやって、「ゲームから本格的なブロードバンドが始まるんだろうな」ということは見えました。次にゲーム会社に移ったのもそういう理由でしたし、出井伸之さんが退任されてからソニーの中で従来のエレクトロニクスに回帰させようとする声が強くなってしまって、ここにいる意味はあまりないなと思ったんです。
――音楽からエンターテイメントを志して、方向性は少し違いますが、今またエンターテイメントに戻りつつあるんですね。ちなみにどういう音楽を?
フュージョンや4ビートのジャズで、ドラムを叩いていました。ジャック・ディジョネットとかピーター・アースキン、スティーヴ・ガッドといったドラマーはだいたいコピーしました。ドラムは小学生からやっていましたね。
――小学生時代にピンク・レディーのバックコーラスをやったことがあるとか。
そうそう、合唱団に入ってたんです。何も特技がない子どもだったんですけど、歌だけがちょっと得意だったので入ったんですね。五木ひろしさんの武道館でのコンサートでもコーラスをやって、感動してシングルレコードを買った記憶があります。どのレコードだったかは忘れてしまいましたが、生まれてはじめて買ったのは五木ひろしさんのレコードでした。
もりかわ・あきら 1967年神奈川県生まれ。筑波大学卒業後、日本テレビに入社。コンピューターシステム部門でネット広告や映像配信など新規事業に関わる。退社後、ソニーを経て、ハンゲームジャパン(現LINE)に入社。2007年に同社代表取締役社長に就任。15年にC Channelを設立、株式会社代表取締役社長になる。著書に『シンプルに考える』『ダントツにすごい人になる』など。
写真=榎本麻美/文藝春秋