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ナイジャー・モーガンとベイスターズ 新規と古参を結んだ陽気な“問題児”の記憶

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/06/02

「もしモーガンがいたら」

 5月26日うだるような暑さの横浜スタジアム。現状最下位、相手は苦手阪神、ホームランもいっぱい打たれて、こちらは全く打つ手なし。そんな時にはいつも思うんです。「もしモーガンがいたら」と。

「元DeNAナイジャー・モーガンが西武3連戦に登場!」

 5月28日。駆け巡ったそのニュースに横浜ファンの誰もが歓喜の声をあげました。6月7~9日に行われる西武との交流戦にスペシャルゲストとしてやってくるそうです。「投げ捨てられたペンライトでTを作っていたのが印象的」「5月10日の試合でベースぶっ壊していたね」――各々からつぶやかれる思い出話の数々は、彼がいまだに皆の記憶に強く残っている選手であることを物語っています。私もまさにその中のひとりです。

 そもそも私が横浜ファンになったのは2013年。何気なく観戦した本拠地開幕戦がきっかけでした。事前勉強せず観戦に臨みましたが、モーガン・ブランコ・ラミレスという外国人から、きいたことあるゆうめいなせんしゅ・中村ノリさんに繋がる中軸の並びがもたらす「なんだかいっぱいうちそう!」な、ワクワクの虜になり、すぐにファンになりました。

 その打線の中でもやはりモーガンの存在は別格でした。ファンになった時と同じタイミングで入団してきた選手ってどこか応援したくなるものですが、彼はきっと私が昔からのファンでも好きになっていたんじゃないか、そんなことを胸張って言えるほど心を掴まれた選手でした。

いまだに皆の記憶に強く残っている元DeNAナイジャー・モーガン

ベイスターズファンの“パワーストーン”

「GoGoGo! モーガン~」と連呼するだけの簡素な応援歌が示すように、殆どの人がどんな選手なのか入団前には知らなかったでしょう。しいて言えば、問題児だというMLB在籍時の評判を見知った程度でしょうか。

 開幕当初こそ打撃が振るわず、すぐに登録抹消されましたが、二軍で3割超えの打率を残し5月に入り一軍再登録をされると、伝説となったあの5月10日の巨人戦で日本球界移籍後初打点・初本塁打を記録。7点ビハインド大逆転勝利の立役者のひとりとなりました。その後、8月20日のヤクルト戦、8月31日の阪神戦と、同一シーズンで三度繰り返された7点差大逆転勝利では全てホームランを打ち、彼がいるだけでどんなに不利な状況でも勝てそうな希望をもたらしてくれたのです。

 そんなモーガンの一番の魅力は底抜けの明るさ。ベンチでもグラウンドでもお立ち台でも、いつもテンション高く暴れまわっていました。一方、キメ言葉に「アバヨ!」を採用するセンス、“トニープラッシュ”という名の別人格、ホームランの時にヘルメットを片手で押さえる仕草、面白いけど出典がよくわからない彼の行動に、「やべーヤツだ」と狂気じみたものを当初は感じていました。しかし、シーズンが進むにつれ、チーム状況が落ち込んでくると、ファンを楽しませようという意図的なものを感じるラミレス選手の明るさよりも、彼の謎パフォーマンスや全力プレーに不思議と救いの光を感じるようになっていました。それは心が不安定な時に不確かな存在やスピリチュアルにはまる、そんな感覚に近い。まさにパワーストーンです。そして気が付けば、心の底から彼の言動を楽しんでいる自分がいました。一度ツボに入ってしまったら最後、ビジョンに「ワラワラコミュニティカレッジ」という大学生の飲み会のような響きの出身校が映っただけで腹を抱えていたことを覚えています。