強制換羽された社員たちは次のステージを与えられることで、生気を取り戻し、多くの実績を残す社員も現れることだろう。まさに政府が掲げる「一億総活躍社会」の実現だ。
国はこれまでのように高齢者ばかりを対象にした社会保障制度を見直し、強制換羽されて立ち行かなくなった人たちに手厚い失業手当や大学までの教育費の無償化などを支援するような制度設計の変更をしてみたらどうだろうか。社会保障の役割は高齢者のためだけにあるのではないのだ。
これまでの制度の延長線上の考え方でいくら小手先をいじくっても、もはや問題の解決には程遠い状態に日本は陥っている。同じ雌鶏が2度卵を産めるように、サラリーマンも国の手厚い支援のもと、何度でも活躍できる社会にすること、これこそが高齢化社会ニッポンの未来図なのではないだろうか。
48歳からが人生の「後半戦」
私たち個人も考え方を変えたほうがよさそうだ。たとえば70歳まで働くとして、サッカーの試合と同じように仕事を「前半戦」と「後半戦」に分けて戦うのだ。22歳から47歳まででいったん定年退職。そして48歳からは後半戦を戦うにふさわしい次のステージに進むのだ。
多くの大企業では47歳くらいになれば、会社内の出世競争にはおおむね決着がついている。会社は選抜した社員だけを経営層として残す。出世できずに不貞腐れた社員に70歳まで延々と働いていただく必要がなくなる。良いことづくしだ。いっぽうで志破れた社員にとっても、次のステージに再チャレンジができる。60歳や65歳ならば新しい職種を選ぶことも難しいだろうが、47歳であればまだまだ体も若く、チャレンジがしやすいというものだ。だいいち、47歳定年であれば、それまでの間も緊張感をもって仕事をし、当然人生の後半戦に向けて作戦をたてて生きていくことをおのずと選択するようになるであろう。勉強もするだろうし、副業も真剣に始めるだろう。これからの時代、何より必要なのは、自分の人生を国や企業によって狂わされないよう自衛する力なのだ。