それまでのやや冷笑的な気分が吹き飛ばされる気がした
そんな事情でネット中継も速報も見ていなかった私は、ようやく見出しがついた文化面がチェックのために刷り出されてきて初めて、太字で印字された老いた巨匠の言葉を目にした。この世は生きるに値する――。それまでのやや冷笑的な気分が吹き飛ばされる気がした。
会見の文字起こしに目を通して見ると、ロバート・ウェストール「禁じられた約束」の台詞の引用が目についた。児童文学の強い影響の上に自分の作品制作がある、という日本アニメの巨匠は、「子どもたちに、この世は生きるに値するんだ、ということを伝えるのが、自分たちの仕事の根幹になければいけないという風に思ってきました。それは今も変わっていません」と語り、長編アニメ映画の制作に区切りをつけることを集まった報道陣の前で伝えた。
この世は生きるに値するのか。それは監督自身が指摘しているように、多くの文学者や芸術家たちが、繰り返してきたシンプルな自問自答で、死ぬまでその答えに、ファイナルアンサーの確信が持たれることなどはなかったのだろうと思う。
トトロをつくり、ラピュタをつくり、ポニョを、紅の豚を、もののけ姫をつくって世界に送り出してきた当の監督だって、その答えは頭に仮、のつくものだったと思うし、完全な確信を持つことなどないのだろうと思った。それでも、ひとまず筆を擱こうとするその時に、肯定で終わろうとする彼は勇ましく見えた。
数年後、宮崎駿が新作の制作に入るという報道があった。事実上の引退撤回は、基本的には「やっぱり」とか「待ってました」とか言われながら歓迎されたと思う。引退なんて何度撤回してもいいから、次に問われた時にも生きるに値するものだと言って欲しい。そして、たとえ5年と置かずして撤回されたものだとしても、あの言葉が引き出された、という意味で、2013年の引退記者会見は意味の大きいものだった。