「同情するなら金をくれ!」は平成6年(1994年)、日本テレビ系で放送されたドラマ「家なき子」で有名になったセリフである。
主演は安達祐実。彼女が扮する主人公・相沢すずは1982年生まれの小学6年生という設定だったから、2019年には37歳になるところだ。家庭は貧しく、継父の家庭内暴力や児童虐待が横行し、という悲惨な環境で育ちながら、母親だけを愛している。病身の母のために盗みを働き、継父を殺そうと計画し、孤立した人生を歩む。貧しさのあまり食べ物を拾おうとした彼女に周囲の大人たちが同情すると、彼女は吐き捨てるのだ。「同情するなら金をくれ!」。
バブルの残滓がさまざまな事象を引き起こして
名脚本家・野島伸司が生み出したこのセリフは大流行し、その年の新語・流行語大賞も受賞している。なぜこれほどまでに流行ったのだろうか? それを知るためには、当時の世相を振り返る必要がある。
当時はバブルの狂宴の後の時代である。経済学的にはバブルは1991年に終わっているが、このころはまだバブルの残り香が濃く漂っていた。私は新聞社社会部の警視庁第四方面本部担当、柔らかい言葉で言えば「新宿警察署のサツまわり」で、歌舞伎町の不良外国人や暴力団などのハードな取材からソフトな社会風俗のスケッチまで走り回らされていて、バブルの残滓がさまざまな事象を引き起こしているのを目の当たりにしていた。
ちなみにバブルの象徴のように思われているディスコ「ジュリアナ東京」が流行ったのは1992年から93年にかけてのことだ。バブルの気分がほんとうに世相から消し飛んでしまうには、1997年の金融危機まで待たなければならない。
「家なき子」の時代には、「貧しさ」というものは今とはまったく異なる意味合いで捉えられていた。盛んに「飽食日本」「豊かな国」と言われ、これに反旗をひるがえすかのように1993年には故中野孝次さんの「清貧の思想」が大ベストセラーになる。昔の日本人のような清貧に戻ろうと呼びかけた同書で、中野さんはこう書いている。
〈たしかに物はゆたかになった。EC圏のどの国にも劣らぬぐらい市場に物は溢れている。しかし、物の生産がいくらゆたかになっても、それは生活の幸福とは必ずしも結びつかない〉
バブルは終わったが日本はまだ圧倒的に豊かであり、だからこそ清く貧しいことに人々は憧れたのだ。