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「助け合い」の日本人と「自立」のNZ人……車いすで留学して考えた文化の違い

車いすで留学するとどうなるの?

2019/05/05
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個人の「自由・自立」を重んじるニュージーランド人

 だけど、面白いことに日本の方が助け合いの精神があるように感じる時もあります。それはもしかしたら私の育った環境が特殊だったのかもしれませんが、日本に根づいている「お互い様」という感覚のおかげでしょうか。

 ニュージーランドは白人社会なので、「個人の自由・自立」が大切で、それは「自分でできる」ということを重要視することに繋がっています。たとえば、仲のいい車椅子に乗っている女の子は、人に押してもらうのをよく拒みます。押してもらうことは、自分の自立を妨げるように感じるそうです。その影響もあり、私は小さい頃は人に手を借りるのが大得意だったのに、近年少し遠慮がちになってきてしまいました。

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 でも、人の手を借りるということは、私がニュージーランドに新たな故郷を見出すためのツールにもなりました。例えば、一時避難した時に通った高校では、毎授業、教室移動がありました。最初は知っている子がいなかったけれど、「手動車イスを押してください」と頼むことによって、すぐに多くの同級生たちと知り合うことができました。私にとって、人に手を借りるのは、むしろ自立するための手段なのです。

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NZを車椅子で移動する際の、交通事情は?

 このように、私が一番多く人の手を借りるのは、移動する時です。電動車イスに乗っている時でも、公共交通機関を使う時は、人の手が必要。日本では、電車に乗るとき、駅員さんがスロープ板を持ってきてくれて、初めて電車に乗れます。大きな駅では、駅員さんの数が足りなくて、30分くらい待たなければいけないこともしばしば。忙しい日にこういうことがあると、とても大変です。

 打って変わってニュージーランドは、公共交通機関自体があまりありません。オークランドとウェリントンという大きな都市では、電車が走っていますが、私の住む町も含めた他の町には、バスしかありません。市内のバスはバリアフリーになっているものが多いですが、スロープがとても急で危ないこともあります。

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 日本では、「駅員さん」と「お客さん」というように立場がはっきり分かれていますが、こっちでは、運転手さんも乗客と対等で、もちろん車イスを支えてくれたり、感じのいい運転手さんもいますが、全く手を貸そうとも見向きもしない運転手さんもいます。そんな時は、どこの国にもいいところも良くないところもあるからこそ、もっとよい世界を求めていきたいなと思うのです。