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「ユヅは大丈夫だろうか」

 実際、2人はその後カナダで練習を続け互いに切磋琢磨しあった。2015‐16年のシーズンで、羽生が史上初の総合300点越えを果たすと、その2カ月後にはハビエルも300点越えを達成し、世界を驚かせた。

 そして、フェルナンデスが集大成の大会として挑んだのが2018年の平昌五輪だった。

羽生結弦(左)とは親友だ ©JMPA

「オリンピックは4年に1度しかやってこない人生で最も大事な戦いです。何度経験してもあの緊張感と言うのは他と比べることができません。僕は2014年のソチオリンピックでは本当に惜しいところでメダルを逃してしまいました(4位入賞)。平昌では、表彰台に上がることが目標でした」

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 そのために集中してトレーニングに取り組み続けたフェルナンデス。一方、連覇を狙う羽生は右足関節側靭帯損傷により長期離脱を余儀なくされてしまっていた。

「『ユヅは大丈夫だろうか』と色々な人から聞かれることがありました。でも、僕も自分自身を追い込んで、トレーニングに集中していました」

宇野昌磨(左)、羽生結弦(中央)と共に ©JMPA

 その後、平昌オリンピックで羽生が2連覇を果たしたのは誰もが知るところだろう。しかし、その舞台裏で、親友でもあり終生のライバルでもあったフェルナンデスは何を思っていたのか――。

 フェルナンデスの赤裸々な想いは、『文藝春秋』5月号に掲載されている独占インタビュー「羽生結弦から僕は学んだ」に綴られている。
 

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