昭和初期の歴史学界や教育界等において、楠木正成の忠臣像がいかに喧伝されたのかを検証したのが本書である。しかし著者の視線は、実は過去ではなく現代に向けられている。本書の真の目的は、近年見られる楠公(なんこう)顕彰の動向を批判し、警鐘を鳴らすことである。
本書で参考文献に挙げられている拙著『南朝の真実』(吉川弘文館、二〇一四年)で、知覧特攻平和会館に展示されている特攻隊員の遺書の多くが楠公父子に言及していることを指摘したとおり、戦前の楠公崇拝教育が日本人にきわめて大きな(負の)影響を与えたことは厳然たる事実である。また本書で批判される平成二八年(二〇一六)開始の産経新聞の楠公顕彰キャンペーンでは、実は評者も取材を受けた。評者は室町幕府執事高師直(こうのもろなお)を現実的な改革派政治家として高く評価しており、それについて一生懸命話した。にもかかわらず、完成した記事は師直を相変わらず通説どおりの小悪党として描写していたように記憶している。
しかしながら、「楠公を南朝忠臣として過剰に美化して顕彰する教育が、果たしてどの程度一般に流布していたのか」という疑問もある。楠公忠臣史観が広く浸透する一方で、逆賊とされた足利尊氏を偉大な武将・政治家として評価する歴史観も依然として根強く残存していたらしいことに最近評者は関心を抱いている。それは実は本書からも随所に窺えるが、一例を挙げれば第一章で紹介される昭和九年(一九三四)に商工大臣中島久万吉(くまきち)が尊氏を礼賛した咎で大臣を辞任した著名な事件は、反面、昭和初期に至ってもなお尊氏を高く評価する人間が大臣クラスにも存在したことの表れでもある。本書によれば、貴族院で中島は、自分に寄せられた批判演説に対して笑いをこらえていたという。また中島に同情的な貴族院議員も多く、中島を激しく攻撃した菊池武夫男爵らを批判する新聞記者もいた。数百年前の歴史上の人物への礼賛問題など、本来はその程度の軽い問題だった。侵略戦争を遂行するために、権力側が偏った史観を一直線に普及させたという単純な話ではないのである。
さらに、楠木正成は評価する価値がまったくない人物であるのかという問題もある。『南朝の真実』でも述べたが、本当に評価すべき正成の長所は、必敗の戦争に戦死を承知で突入したことではない。それとは正反対に、最後まで勝利をあきらめず、敵から逃げるべきときには逃げ、講和すべきときには講和を模索した現実的な姿勢だった。こうした姿勢は、政治・経済や個々人の生活にも十分応用が利くのではないだろうか。戦前の過剰で歪んだ美化の再現ではなく、正成父子を改めて正当に評価し、未来の教訓として生かす必要性を痛感するのである。本書は、そうした近代の思想史研究にも必ず役立つと確信する。
たにたひろゆき/1954年、富山県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。歴史学者(専門は西洋近代美術史)。著書に『唯美主義とジャパニズム』、『鳥居』など。
かめだとしたか/1973年、秋田県生まれ。日本中世史学者。国立台湾大学助理教授。著書に『観応の擾乱』、『高師直』など。