「1000人に1人の逸材」がロールモデルになると……
影響力のある人たちがそうした発言をすることで、子どもや保護者たちが「この人がそう言うなら、義務教育は受けなくてもいいだろう」と安易に受け入れてしまうことがどれほど怖いことであるか、私たちは慎重に考える必要があります。
義務教育を受けずに大人になった1000人が、1000人とも「好きなことをして生きていく」ことができる、などと誰が言えるでしょう。仮に1000人に1人成功した人がいたとして、その人をロールモデルにしてしまうことは危険な行為です。「残りの999人はどうなったのか」を考えて、理解し、それでも挑戦するのであれば他人が口を挟む問題ではないと思うのですが。
特に子どもは、生まれてくる家庭を選べません。もし私が子どもの頃に不登校だったとしても、典型的な機能不全家族であった私の家庭では、生きていくうえで十分な教育を受けることはおそらくできなかったでしょう。両親は勉強が苦手でしたし、共働きで朝から晩まで働いてくれ、おまけに兄の家庭内暴力のせいで心身が疲弊していつも追い込まれていたため、「子どもの教育」はきっと後回しにされていたと思います。
そのような家庭にとっては、義務教育はとてもありがたいものでもあります。貧しくても複雑な家庭の事情があっても、平等に教育機会を与えてくれる制度には、私自身はたいへん恩恵を受けたと思っています。個人によって「吉と出るか凶と出るか分からないこと」を個々の事情を鑑みず、ひとくくりにして語ってしまうことは大変危険な論法です。
他人を利用してポジショントークをする大人たち
これから先、義務教育を受けずして成功した人が「義務教育なんか受ける意味ないよ。俺は成功したもん。だからみんな行くのやめようぜ」と煽ったとしても、それは100%の善意からくる発言ではないことを覚えていてほしいのです。「自分と同じように行動すれば、『全員が必ず』自分と同じように成功できる」ということは絶対にありえないし、その発言を信じたあなたが失敗したとき、彼らはあなたの失敗をフォローしてくれることもないでしょう。
あなたの将来を本当に考えてくれる人は、あなた個人としっかり向き合って、これから起こりうるさまざまなリスクを必ず説明してくれた上で、「それでも挑戦したい」と言うあなたの背中を押してくれるはずです。
昨今のインターネットではよく目にする光景ではありますが、他人を利用して自分のポジションを取ろうとすることは、決して肯定されるべき行為ではありません。今回の「10歳の不登校YouTuber」の話題で浮き彫りになった問題を、単なる「炎上」で終わらせてはならないと思うのです。