日本唯一の「うめ課長」は梅の兼業農家
梅にかける町の思いは中途半端ではない。
例えば、うめ課。「うめ課長」以下7人で、梅のPRなどを行っている。田中課長も梅の兼業農家だ。
産業課が「うめ」を名乗っているわけではない。他の農産物や漁業を担当する「産業課」は別にある。
うめ課ができたのは、旧南部川(みなべがわ)村時代の1973年だ。村は独自の試験研究機関「うめ21研究センター」(90年設立)まで持っていた。
梅畑のためにダムまで造った
梅畑用のダムもある。梅は水が足りないと実の太りが悪い。スプリンクラーでの農薬散布にも欠かせない。このため91年、国が「島ノ瀬ダム」を建設した。田辺市の梅畑まで潤している。
2004年に南部川村と南部(みなべ)町が合併して、みなべ町になったのも、梅が大きな要因だった。共に梅産地だった2町村は、同じく梅産地の田辺市と合併しては埋もれてしまう。そこで合併協議を離脱して、2町村だけで一緒になった。このため単独の生産量では肩を並べていた田辺市に差を付け、揺るぎない日本一の座を獲得した。
うめ課は新町に引き継がれた。
「酸っぱい、しょっぱい」若い人の梅離れ
「ちょうど梅干しの消費が落ち始めた頃でした。就業人口の7割が梅関連に携わっており、深刻な事態に直面しました」と田中課長は振り返る。
総務省の家計調査によると、1世帯が1年間に買う梅干しの量は、02年の1053グラムがピークだ。それが17年には784グラムと、74%にまで減った。年齢が下がるほど敬遠される傾向にあり、同年の年間購入量は70歳以上が1049グラムだったのに対し、20代以下は219グラムしかなかった。「酸っぱい、しょっぱいというのが理由です」と田中課長は嘆く。
ところが近年、梅の消費が伸び始めた。うめ課の長年の蓄積が原動力の一つだった。