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最初は単発のつもりだった〈小市民〉シリーズ

――その『春期限定いちごタルト事件』(2004年刊/創元推理文庫)にはじまる〈小市民〉シリーズは、中学時代に推理を披露して苦い思いをしたことから目立たないように生きることにした高校生、小鳩常悟朗が主人公。同級生の小佐内ゆきと「小市民」を目指しているのにさまざまな謎に遭遇してしまうシリーズです。こちらはどのような経緯で始まったのですか。

春期限定いちごタルト事件 (創元推理文庫)

米澤 穂信(著)

東京創元社
2004年12月18日 発売

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米澤 『さよなら妖精』が多くの人に読んでいただけたのですが、それはミステリ・フロンティアの読者だけではなく、『氷菓』や『愚者のエンドロール』の読者の方も買ってくれたのだろう、と。そういう方々に向けてご恩返しとして、東京創元社からも〈日常の謎〉のものを文庫で出そうという話をいただきました。その時に〈古典部〉を自己模倣するわけにはいかないので、新しく〈小市民〉シリーズを立ち上げました。というか、最初はシリーズではなく単発のつもりでしたが。

――「春期」があるなら「夏期」「秋期」「冬期」もあるだろうと当然思いますが。

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米澤 もともとは「孤狼の心」という題名だったんです。そのあとで「限定版いちごタルト事件」という題名にしたんですが、営業の方から「限定版という名前で出すと普及版はどこですか、という問い合わせがあるからやめてほしい」と言われて、おっしゃることはよく分かります、と(笑)。それで今の題名になったのですが、東京創元社の編集者さんが「春期とつけたら夏期も書かなきゃいけませんよね」と冗談でおっしゃって、「まさか、ハハハ」と笑っていたら、実際にやることになりました。

――どういうコンセプトを考えていたのですか。

米澤 最初はドロップアウトした探偵たちの物語を書こうと思っていました。端的に言って、隣にこっちのことを全部見抜いて当ててくる、小説の名探偵みたいな友達がいたら、やっぱり嫌だよねっていう。そもそもシャーロック・ホームズも、ワトスンが辛抱強く我慢しているだけで、たぶん、もともとは嫌な奴だと思うんです(笑)。友人の目から「嫌な名探偵」として書くこともできますが、主人公を中高生と考え、名探偵としてやっていた時に「お前は嫌な奴なんだ」と人に言われて本人も自覚して、じゃあもう探偵なんかやめてしまおう、と思ったところから話を始めることにしました。それは小説としてテーマになりうるんじゃないかなと思ったので。

――〈古典部〉も〈小市民〉も、主人公たちが成長していくところも魅力ですよね。だからこそ続篇が気になります。〈小市民〉は今『秋期限定栗きんとん事件』(09年刊/創元推理文庫)まで出ていますが、冬期の構想は頭のなかにありますか。

秋期限定栗きんとん事件〈上〉 (創元推理文庫)

米澤 穂信(著)

東京創元社
2009年2月 発売

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秋期限定栗きんとん事件 下 (創元推理文庫 M よ 1-6)

米澤 穂信(著)

東京創元社
2009年3月5日 発売

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米澤 あります。もちろん書く予定はあります。その前に書かなくてはいけないものがいろいろあって……。

――お待ちしておりますよ。さて、その後『犬はどこだ』(05年刊/のち創元推理文庫)は、犬捜しの専門の探偵が人捜しと古文書の解読を依頼されるという内容。このあたりから、シリーズ以外で書くものの雰囲気が毎回ガラッと変わりますよね。この次が、少年が自分のいないパラレルワールドに行ってしまうダークな青春小説『ボトルネック』(06年刊/のち新潮文庫)、その次が館で殺人ゲームが行われる『インシテミル』(07年刊/のち文春文庫)ですから。

犬はどこだ (創元推理文庫)

米澤 穂信(著)

東京創元社
2008年2月 発売

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ボトルネック (新潮文庫)

米澤 穂信(著)

新潮社
2009年9月29日 発売

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インシテミル (文春文庫)

米澤 穂信(著)

文藝春秋
2010年6月10日 発売

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米澤 毎回毎回書いているものが違うという感じは確かにありました。『犬はどこだ』はミステリーファンが読むようなミステリーを書いていなかったので、1回書いておこう、という話になりまして。中世の農民たちの自衛行動をテーマにミステリーを書きました。

『ボトルネック』は『さよなら妖精』を読んだ新潮社の編集者から連絡がありまして、「お仕事ご一緒しましょう」と言っていただいて。でも初対面なのに「僕の好きそうな小説を書いてください」って言われたんです(笑)。何が好きかまったく分からないので好きなように書くしかなかった。『ボトルネック』はもともと10代の頃に発想していたものですが、その頃は自分の技量が足りなくて小説としてまとめられる自信がなかった。それで書けるようになるまで寝かせておくことにしていたんです。でも、これは青春の痛々しさのある話なので、これ以上寝かせておくと年齢からして自分がそれにコミットできなくなるという思いもありました。それで今が最後だろうと思い、書かせていただくことにしました。