作家生活10年目の作品で日本推理作家協会賞を受賞
――こうして見ると、11作目の『儚い羊たちの祝宴』から作風を広げたという感じですね。
米澤 そうです。当時は「ギアを変えた」という言い方をしていたと思います。自分で言うのは恥ずかしいのですが、「仕掛けの小説」から「仕掛けがあって豊かな小説」になっていけばいいなと思いました。それまでの小説でも、『犬はどこだ』は大状況を繋げましたし、『さよなら妖精』もユーゴスラヴィアの話を用いたりして、より広くあれ、深くあれとは思いながら書きました。深くあれというのは、内容の考察が深いということではなく、いろんなものが含まれているという意味ですね。ただ、『儚い羊たちの祝宴』あたりから、何かが変わったんです。うまく言えませんが。
――日常から飛び出した、ということは言えませんか。まあそれまでも『ボトルネック』などは主人公にとっては非日常ですが、描かれる舞台は日常的な光景ですし。
米澤 ああ、これまではミステリーを解いていったら半径5メートルからはみ出た、という話を書いていましたが、確かにこのあたりから、最初から半径5メートルを超えている話が増えたかなという風に思います。
――そして半径5メートルどころではないのが『折れた竜骨』(10年刊/のち創元推理文庫)ですね。中世のヨーロッパが舞台ですから。
米澤 さきほど10代の頃に考えていたプロットは『ボトルネック』と『インシテミル』で総括したと言いましたが、実は『折れた竜骨』もそうなんです。これは東京創元社の60周年記念で「なにか書きましょうよ」というお話があって、「じゃあ昔こういうものを書いていたので、それを軽くリメイクして出しましょう」と話して……「軽く」ではすみませんでした(笑)。やっぱり原稿用紙に向かったら、手を抜けない。いやもう、編集者も私も必死になりましたね。
――10代の頃に書いたものから大幅に改稿したということですね。
米澤 舞台を、架空の世界から、現実の中世に書き換えました。理由を突き詰めると、自分の世界が架空世界より現実世界に向いていたからだと思いますが、読者の興味もそちらにある気がしたんです。だって、歴史小説の楽しみも同時に味わえたら楽しいではないですか。気分は『追想五断章』で世界中のあらゆる街の話を書いた時と似ていたかもしれません。
――現実世界が舞台とはいえ、中世で、魔法が使える世界で殺人事件の謎解きをきちんと成立させているところが見事だなと思いました。作家生活10年目に出したこの力作で日本推理作家協会賞を受賞したのも嬉しかったですね。
米澤 この作品で認められたというのが驚きで、同時に嬉しさもありました。賞のノミネートそのものは確か3回目で、思いがけず評価していただけて、周りにいた人たちがものすごく喜んでくれて。「ああそうか、こうやって喜んでくれる人たちと一緒に仕事をしていたんだ」と改めて思って、すごく幸せだと思ったことを憶えています。人が成功した時にあそこまで喜んでくれる人ってなかなかいない気がして(笑)。
――次が長篇『リカーシブル』(13年刊/のち新潮文庫)。地方都市に越した中学1年生の少女が、奇妙な出来事に遭遇する。
米澤 これはもともとカーの『火刑法廷』(加賀山卓朗訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)をやりたかったんですよね。構成され切った本格ミステリーをやろうかなと思ったんですけれど、この語り手はどういう子なんだろうと突き詰めて考えるようになって。孤立無援でも、泣きたい時でも、頑張る子になりました(笑)。
――刊行当時のインタビューで、書いている最中に、主人公の心情が表れる場面で珍しくご自身の中でも感情が動く場面があったとおっしゃっていましたね。
米澤 そうですね。やはり長篇1本の中で数行、ある思いが文章にちゃんと乗った文章というのが生まれることがあります。この小説でも、ここはもしかしたらよく書けているかもしれないと思いました。
――少女が主人公の話が続きましたね。『折れた竜骨』は主人公が少年だった場合、立場上探偵をやっている場合ではなくなるので少女を主人公にしたそうですが、『リカーシブル』の主人公を中学1年生の少女にしたのはどうしてですか。
米澤 いろいろ考えたんです。「兄・弟」「姉・弟」「兄・妹」「姉・妹」。結局「姉・弟」にした理由はいくつかあるんですが、ひとつには『ボトルネック』がお姉さんと弟の話だったので。『ボトルネック』と『リカーシブル』はシリーズではないんですけれども、実は見知らぬ故郷と姉と弟という構成が共通しています。
――それにしても米澤さんは、思春期の主人公をとことん追い詰めますよね。素敵な大人が助けてくれるなんてことも決してないし。
米澤 そうですね、地に足が着いた追い詰め方ができたかなと……ひどい言い草ですね(笑)。大人は判ってくれないとはまったく思っていないんですけれども、まあ、自分のことは自分でやる話にしよう、と。