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2019/06/01

「あの階からギーコ、ギーコってノコギリを挽く音がするんよ」

 だが、拘置所で面会した私に向かって彼は嘯(うそぶ)く。

「いまさら嘘はつきません。私は殺人等の指示はしておりません。私を誹謗する報道ばかりですが、小野さんは違った角度からこの事件を見てください。それは、松永は無実であるという視座からです。それが事実なんです」

 大きな目でこちらを射抜くように直視して言い切る姿は、確信に満ちていた。嘘をついていることへの後ろめたさや、信じてくださいとすがりつく卑屈さといった、ある意味で人間的ともいえる湿り気は、まったく含まれていない。人間に酷似したヒューマノイドロボットをテレビで見たときのような、目の前にある存在はたしかに人間の姿かたちをしているのだが、そこに魂の存在が感じられないという経験だった。

 もっとも、彼が自己の無実を強弁する背景もわからないではない。犯行の段階で松永は、遺体の解体や処分の方法について細かく指示を出し、彼なりに“足がつかない”ように工夫していたからだ。当時の福岡県警担当記者は説明する。

「遺体は包丁やノコギリを使って、細かく切り分けられてから鍋で煮こまれました。そうして肉と骨を分離させ、肉はミキサーでさらに細かくしてからペットボトルに入れ、近くの公衆便所などに捨てています。骨は細かく砕いて缶に入れ、大分県と山口県を結ぶ旅客船などから海に投棄したそうです。解体場所となった浴室は、松永の指示で念入りに掃除されており、誉さんには台所の配管の交換を、主也さんには浴室のタイル交換をさせていました」

 こうして7人の遺体の痕跡は完全に消されたのだ。まさに“遺体なき殺人事件”だった。当然ながら、遺体から殺害方法を割り出すことはできず、あくまでも関係者の証言を含めた状況証拠を収集して、殺人を立証するほかない厄介な案件である。

 事件発覚後すぐに北九州市へ飛び、現場で取材を始めた私は、三萩野マンションの複数の住人から話を聞いた。そのときに印象に残っている言葉がある。

「深夜にね、あの階からギーコ、ギーコってノコギリを挽く音がするんよ。それが何日も続き、しばらく間が空いては繰り返されよった。もう、なんの音なんやろうかっち思いよったね」

 また別の住人はこんなことも口にしていた。

「夏とかにすごい異臭がしよったんよ。もう、レバーを煮たような、なんとも言いようのない臭い。とくにあの階から臭いよった。それでね、廊下や階段の踊り場に人間の小便や大便がされとったこともある。足跡があの部屋に続いとったことがあるけ、別の階の人が注意したんやけど、中年の女が出てきて子供の頭を叩き、『あんたがやったん?』って怒りよった。いまから思えば、臭いをごまかすためやったかもしれんね」

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 それはまさに、遺体を消し去る作業を実行する音であり臭いだったのだ。取材で入ってきた捜査情報とこれらの証言が結びついたとき、酸鼻をきわめた現場での様子を想像し、戦慄を覚えずにはいられなかった。

なぜ、被害者は逃げずに犯行に加わってしまったのか

 さらに2002年6月から2005年9月までに77回開かれた一審の公判で、事件の詳細が明らかにされると、そのあまりに悪辣な犯行内容に唖然とさせられた。実際、旧知の地元テレビ局の報道担当幹部は次のように嘆息していた。

「こんなこと言うと被害者に申し訳ないけど、この事件はテレビ向きじゃない。あまりにも犯行内容が残酷なんで、映像にできないんですよ。だから経過だけを粛々と報じるしかない」

 松永が主導した事件の残忍なところは、殺害現場に親族を立ち会わせる、あるいは親族に手をかけさせるという点だ。さらにはその遺体を子供を含めた親族に解体させ、処分まで担わせている。

 松永は助言という体で命令を下し、逆らうことのできない相手に殺害や遺体処理を実行させた。さらに「自分たちで考えろ」と示唆することによって、相手が忖度して自発的に行動するように持ち込んでいた。

 当時、この事件に携わる誰もが疑問に感じていたことがある。

 なぜ、被害者は逃げられなかったのか。なぜ、自ら犯行に加わってしまったのか、ということだ。

 あの場にいて、唯一生き残った清美さんは後にこう証言している。

「(松永と緒方家の関係は)王様と奴隷でした」

 つまり、まったく抗うことができなかったのである。このような状況を生み出したのは、松永が周囲の者を精神的に支配するための段階を踏んでいたからだ。

 そのほとんどは、まず甘言で近づき、信用した相手から不満を聞き出し、そそのかして外の世界と繋がる勤務先などの集団から離脱させる。続いて自らの手元に置き、不信の元となる情報を囁いて親子や夫婦、姉妹といった絆を断ち切る。そして子供を人質にしたり、犯行に加担した弱みを握ることで逃げられなくする。さらに互いの監視を命じて常に1人の生贄を作り、その生贄に浴びせた苛烈な暴力によって、皆に「次は自分かもしれない」との恐怖心を叩きこむというものだ。

 なにゆえ、このような悪魔の所業を思いつき、実行に移すことができたのか。それを知るには、松永太という男の足跡を辿る必要があった。