新卒一括採用は、日本のすべての若者を幸せにしたか?
冨山 でも、採用では、なし崩し的に、いろんなやり方が出て来ているようですけどね。
中西 だから、こういうことって、グローバルスタンダードのようなものがあるわけでも何でもないんです。労働市場というのがマーケットとしてあって、そこに自分たちが入っていく。学生にはそう思ってほしいし、採用側も、そのマーケットでいい人をきっちり採るための仕掛けを考えてください、ということだけですよね。
お互いの市場性がしっかり確立する、というのが、前提条件なのに。
冨山 学生にも選ぶ権利はありますからね。
中西 あります。
冨山 むしろ最近は、学生のほうが強いですから。
中西 売り手市場ですから。ときどき氷河期というのがガーンと来ることもありますけど、これも市場ですから。市場として成り立っているんだとすると、景気が回復すればそのとき、いい就職先がなかった人も、次のチャンスをどんどん得られるという、そういう方向が極めて自然だと思うんです。
冨山 いわゆる氷河期世代は気の毒だったわけですが、私は前から日本型の新卒一括採用が産み出した悲劇の世代だと思っているんです。結局、あの新卒の就職のタイミングしかチャンスがないので、あそこを逸してしまうと本来のコースに戻れなくなってしまうんです。あの氷河期世代は、象徴的でした。
中西 どうして、そんなふうになっちゃうんでしょうね。
冨山 そうなんですよ。だから、「新卒一括採用のおかげで、日本の若者たちは幸せになってきた」と声高に主張している学者とか評論家とかがいるんですけど、「じゃあ、氷河期世代はどうなんだ」と私は言いたいわけです。そういうことを言う学者や評論家は、まったくわかっていない。
中西 同感ですね。
大学生が勉強しなくてよい時代は、とうの昔に終わった
冨山 新卒一括採用は、高度成長期の加工貿易立国時代に有効だったんです。すべて日本でやっていた。日本のメーカーは日本で完結していましたよね。原材料を輸入して、製品にして輸出する、というモデルでしたから、日本国内の事情でやっていけた。それで世界で勝てた時代がけっこう長かったんです。
また、その時代は基本的に人手不足でした。人手不足の中で大量一括採用が行われていた。それが終身年功制とつながって工場での共同作業とも相性がよかった。均質な生産活動を量的にこなしていくことが求められていましたから、とにかく号砲で一斉に就職活動が始まって、同じ日程でことを進めるというのは、効率が良かったんでしょうね。
中西 要するに、生産設備を作っていくのと、まったく同じプロセスなんですよ。地方から金の卵を採用したり。それが産業の構造とピタッと合っていた。
冨山 合ったんでしょうね。たまたまそれが30年くらいわりとうまく機能しちゃった。日本型経営とか日本型雇用慣行というのは、ある時期、ある社会状況、ある産業構造の中で、たまたますごくフィットしたんだと私は思っているんです。
それを、我々の先輩方がうまく作ってきたのは間違いない。でも、産業構造が変わり、社会構造が変われば、当然それを変えていかないといけないんです。でも、あまりにうまくいってしまったものだから。
中西 成功体験が大きすぎた。
冨山 ものすごくイナーシャ(慣性モーメント)になってしまって、それをなかなか変えられなかった。その結果としての、バブル以降の30年近くじゃないでしょうか。
中西 それは採用の問題だけじゃなくて、雇用そのものとか、会社のオペレーションそのもの、企業の教育プログラムもそうですよね。
冨山 全部つながってきますね。学校教育も。
中西 だから、大学なんて勉強しなくていいよ、となった。元気があって、スポーツ系がいい、なんてことが言われたり。
冨山 明るくて丈夫で、みたいな。
中西 それを入社後に、いかにトレーニングしていくか、と。そういう徒弟制度的なシステムがずっとあって、別にそれでうまくいくんだったらそれでいいんですよ。でも、そういうモデルは、とうの昔に壊れてしまっている。