両親を見て「ああ公務員になりたいなあ」
―― それで、お笑い芸人を目指すようになったのは?
飯尾 自分が高校の時ってバブルで働き方もすごくて。今みたいに週休2日じゃなくて、サラリーマンが月曜から金曜まで働いて、土曜も接待で、日曜は仕事でゴルフ……、そういう生活が続いて、過労で死んだっていうニュースを見て、「何のために働くんだろう」って思ったんですよ。うちの両親は公務員なんですけど、定時で帰ってきて家ではバラエティ番組ばっかり見てるから、ああ公務員がいいなって(笑)。しかもなぜか仙台の公務員になろうと。「杜の都」なんだから、ああ、緑がたくさんあるんだって(笑)。「いいなあ、そういう人生も」って思って。
でも高校から大学に推薦で行けるって話になった時に急に「やっぱりお笑いをやりたいな」って思ったんです。いざとなると、どうやったらいいかわからなくて、小さい劇団に間違って入っちゃった。そのときは踊りの稽古をするのが合わなくて3カ月で辞めちゃいましたね。そのあとはフリーターみたいになったんですけど、ある先輩が浅井企画の住所を教えてくれて連絡してみたら返事がいいから入れたんです。
浅井企画に入ってすぐに仲良くなったウド鈴木
―― 返事がいいから?
飯尾 そのときの常務が、王(貞治)さんとも対決したことある元高校球児で。僕も体育会系のバレー部だったから間を開けないでなんでも「はい!」って返事をするのがクセになってたんです。それで「お前、返事がいいな~」ってなって。普段はタレントを募集してなくて、毎日のように断ってるんだけど、ちょうど2、3人採用して、喜劇をしようと思ってたって。そのとき「半年前にも飛び込んだヤツがいるから、そいつと会わせるから」って言われて、顔合わせに来たのがウド鈴木でしたね。
―― ウドさんの第一印象は?
飯尾 「かっこつけてるな~」と思いましたね(笑)。最初のころはあんなモヒカンじゃないんですよ。ちょっと短髪で。すぐ仲良くなったんですけど、あいつのアパートに行ったら、高倉健さんのポスターが貼ってあって。「ああ、かわいそうに。憧れてるんだな」と思って(笑)。ないものねだりなんだな、人間というのはって。
僕の場合は唯一、幼年期から18歳ぐらいまでの自分を一つだけほめてやれるとしたら、ジャニーズ事務所に履歴書を送らなかったこととバンドをやらなかったこと。自分の容姿に対して冷静な判断ができたということだけはほめてやりたいですね(笑)。