『さんまのお笑い向上委員会』『マツコ&有吉 かりそめ天国』などのバラエティ番組に加え、最近では『獣になれない私たち』『アンナチュラル』などドラマでも幅広く活躍するずん飯尾和樹さん。
しかし20代でデビューしてから「うだつが上がらない」時期が長く、『いいとも!』レギュラーを経験したあとも「40歳で食えなくなった時期があった」と明かしてくれた。(全3回の2回目/#1、#3も公開中)
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「浅井企画の在庫品」こと、飯尾とやすで「ずん」を結成するまで
―― 初めてテレビに出たのは?
飯尾 小学校で少年野球をやっているとき、取材で出たんですよ。多摩川にジャイアンツのグラウンドがあったじゃないですか。二子玉川の河川敷で自分たちの試合があったんですけど、勝ったので、監督が「じゃあみんなで巨人軍見に行こう」って。そしたら清水クーコさん、清水国明さんの亡くなられた奥さんですけど、当時若者のカリスマの女性で、彼女が深夜番組で取材に来てたんですよ。「どこのファン?」って訊かれてみんな「巨人」「巨人」「巨人」って言って。僕だけ「どこのファン?」「ヤクルト」って答えたら、ずっこけられて、それがオンエアになりました(笑)。
―― 芸人になってから初めてのテレビはいつでしょう。
飯尾 デビューして2年目くらい。フジテレビの『五コマくん』っていう番組があったんですけど、4コマ漫画の5コマ目を埋めろというので、浅井企画チームに入れてもらって、キャイ~ンと、自分らと、もう1~2組で30分番組を1回やらしてもらったのがデビューですね。
―― そのとき飯尾さんはまだ「ずん」ではないんですよね。
飯尾 そうですね。小学校の幼馴染みと「チャマーず」というコンビを組んでました。でも1年で解散して、その後、事務所の後輩の村山(ひとし)くんと「La.おかき」というコンビを5年ぐらいやりました。そのコンビの時に奇跡的にウッチャンナンチャンさんの『カボスケ』っていう帯番組でレギュラー出演できたんです。
村山くんはアイドルが好きで毎年、年末に注目するアイドルを200位くらいまで順位つけてるんですよ。これからの人たちだから全然知らない名前ばっかり。その中で2年連続1位を獲ったのが当時はまだ無名だった菅野美穂ちゃん。「絶対来ますから!」って。それで、アイドルの記事を書いたり、イベントしたり、そっちの方向に行きたいというので解散しました。そのあと2年半ぐらいピンでやってうだつ上がらなくて、最後、「浅井企画の在庫品」こと、飯尾とやすで「ずん」を結成。「リンスとリンスの組み合わせ」でした。なかなか泡立たなかったな(笑)。シャンプーとリンスなら売れたのに、ドラッグストアの在庫処分みたいな(笑)。