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キャイ~ンや関根さんの“注射”で「芸人を続けよう」

―― 芸人になってからバイトはやっていました?

飯尾 してましたね。二子玉川で。二子玉はいまあんなきれいになっていますけど、スケートリンクとか、テニスコートがある東急の施設があったんです。その受付やってました。そこで娘さん連れた高田純次さんを見ましたね(笑)。「お釣り、多めにちょうだい」とか言ったりして(笑)。カッコよかったですね~。

 

―― さっき「うだつが上がらない」って言ってましたけど、芸人を辞めようと思ったことは。

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飯尾 やっぱり親からは30歳までは好きなことをやっていいとか言われるじゃないですか。だから「La.おかき」を解散して28~29歳とかになったときに、「そろそろかなあ」って思ったことはありましたね。でも、そういう時に限って、キャイ~ンや関根勤さんとかと食事に行くと、僕のギャグでゲラゲラ笑って、「飯尾、ホント面白いなあ」って言ってくれるんですよ。「あれ? こんな一線でやっている同期と先輩が言うんだから、まだ行けるのかな?」って。そこで“痛み止め注射”を打って、「よし、あと3カ月」って言って続けてる感じでしたね。ピッチャーだったら肩と肘はもうとっくにやられてるのに(笑)。ホント、20代は床ずれするぐらい寝てばっかりでした。

 

―― そのころは実家暮らしでした?

飯尾 いや、1人暮らしです。それも芸人を続けられた理由かもしれないですね。やっぱり親が一緒にいると心配するじゃないですか。「ずっと芸人続けて大丈夫?」って。だから芸人やりたいんだったら、1人暮らしをお勧めしますね。