「ペッコリ45度」「よろけたついでに由美かおる」……など独特の世界観を感じさせるボケが印象的なずんの飯尾和樹さん。
じわじわとこみあげるおかしみはどのように築かれたのか。小さい頃見ていたテレビのこと、芸人を志したワケ、そして同期芸人のキャイ~ン・ウド鈴木さんとの出会いについて聞きました。(全3回の1回目/#2、#3も公開中)
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「1+1は?」「3デシリットル!」が原点
―― 子供の頃、テレビは好きでしたか?
飯尾 好きでしたね。ずっとバラエティ番組がついているような家でした。伊東四朗さんと小松政夫さんの『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』、大将(萩本欽一)、ドリフ(ターズ)から、マンザイブーム、『(オレたち)ひょうきん族』。それから、とんねるずさんの『夕やけニャンニャン』、『夢で逢えたら』でダウンタウンさん、ウッチャンナンチャンさん、清水ミチコさん、野沢直子さんの存在を知って……っていう。王道ですね。あと、両親の実家が滋賀なんですよ。夏休みに帰省するんですけど、吉本新喜劇がすごく面白くて、東京に帰ってきてチャンネルを合わせるんだけど、やってなくて、「なんで新喜劇は東京でやってないんだ」ってよく親に訊いてました。
―― その中でも特に好きだったのは?
飯尾 伊東四朗さんと小松政夫さんの「電線音頭」は、シュールでゲラゲラ笑ってましたね。あと、小松政夫さんが鼻垂らしてる子供で、伊東四朗さんが、おたまを持って、「さあ、ボクちゃん、勉強いたしましょうね」「あい」「さあ、算数やりましょう。1+1は?」って聞いたら、小松さんが「3デシリットル」って答えたんですよ。そのボケ、いまだに覚えているんですよね。なんで「3デシリットル」? 「3」でもいいのに、「デシリットル」もつけるんですよ。それがすげえなって子どもながらに。
―― そういう笑いはクラスメイトとも共有できました?
飯尾 僕、今でも「ぱっくりピスタチオ」ってギャグをやるんですけど。それはある日、親父がピスタチオをつまみで食べてて、「ピスタチオ」って語感が面白くて、2~3時間ずっとゲラゲラ笑ってたんですよ。親父にもう笑うなって言われるぐらい。それで次の日に小学校行って、友達に「ちょっと目つぶってよ」って言って、「ピスタチオ」って言ってみたんです。そのとき笑う奴は「3デシリットル」でも笑ってた奴なんですよね(笑)。