僕がミステリを好きなのは、驚きがあるから
――ちょっと遡りますが、最初に小説を書いたのは10代の時だったそうですが、その頃はどういう作品を書いていたのでしょうか。
貫井 15歳の時にはじめて書きました。ミステリもSFも両方好きで、最初に書いたのはミステリでした。当時から栗本薫さんが大好きで、最初ミステリから入ったんですけれど栗本さんはファンタジーも書いていらしたので読むようになって。それで、毎回あとがきでは読者に語り掛けてくれるような感じがあって、自分も書いてみようという気持ちにさせてくれたんですよね。まずは新人賞狙いで、SFの短篇とかを書いていました。
――ああ、投稿はずっとしていたという。1993年に『慟哭』(のち創元推理文庫)で鮎川賞の最終候補になり、それが本になってデビューされたわけですが、これがデビュー作なのかと驚くほどの構成でした。あれは本当に、もう本当にびっくりしました。
貫井 しかも25歳で。どんなひどい人生を送ってきたんだという(笑)。
――すぐ専業作家になられたのですか。
貫井 順番が逆なんです。サラリーマンを辞めて、自己都合だと失業保険をもらうまでに3か月間猶予期間があるので、その間に小説が1本書けるなと思ったんですよ。本当はその3か月間でちゃんと就職活動しなくちゃいけないんですけれど。書いてから就職活動をしようと思って書いたのが『慟哭』でした。それでデビューできるとは思っていないから、ちゃんと就職活動するつもりでハローワークに行って自衛隊に入らないかとスカウトされたりしていました。身長が高いからだと思うんですけれど。
12月31日で会社を辞めて、鮎川哲也賞の締め切りが3月31日で、ゴールデンウィークには最終候補に残りましたという連絡が来ました。その時に「たぶん駄目だと思う」と言われたんです。「駄目だと思うけれど、本にはするから」って。じゃあ就職はいいやと考えて、それっきりでした。
――それまではSF短篇を書いていたのに、その時はミステリを書こうと思ったわけですか。
貫井 はじめて書いたのがミステリで、その後はずっとSFを書いていて、またミステリに戻ったきっかけは綾辻行人さんがデビューして新本格のムーブメントがあったからです。もともと島田荘司さんが大好きだったので、島田さんの推薦で面白そうな人が出てきたと思って読んでみたら、なるほど面白いと。しかも続々といろんな書き手が出てくる。これだったら自分もなにか出られるチャンスがあるのかなと思ったんです。僕自身がミステリから離れていたのは、高校生の頃に社会派ミステリが全盛期だったのに、松本清張に興味が持てなかったからなんですよ。自分が好きなタイプのミステリでデビューできる雰囲気がなかったので、それでSFを書いていたんです。でもこういう本格推理でデビューできるなら、僕もこっちでデビューしたいと思って。そう思った時点で綾辻さんがデビューして4、5年経っていたのかな。同じことをやってももう駄目だという時期でした。それで、『慟哭』のような、硬めな警察小説の雰囲気なのに実はやっていることは本格、みたいな話を考えました。そういう変化球でもないとデビューできない時期だったと思います。
――『慟哭』の最後のひと言を読んだら、もう「うわああああ」ってなりますよね。あの衝撃といったら。それでサプライズを書く人だというイメージがつきましたよね。
貫井 最初からそういうぶん投げ系をやりましたからね。やっぱり僕がミステリを好きで読むのは、驚きが好きで読んでいるんです。だから自分の作品でもできる限りなんらかの驚きを盛り込みたい気持ちはありますね。デビュー前の、素人の時から驚きに集約するような話ばかり書いていました。