普段は言霊が降りてくる。でも、今回は5つの箱が最初に降りてきた
――そしてだんだん伊苅の過去が明かされていきます。理不尽なことがたくさん身に降りかかっていますよね。
貫井 『蜩ノ記』なので、主人公がひどい目に遭うことにしようとは思っていました(笑)。こういうことがあったら辛いよな、離婚も辛いよね、両親とうまくいかなくても辛いよね、と列記していっただけなんですけれども。
普段は、あまり考えないで書くタイプなんです。僕は「言霊が降りてくる」と言っているんですが。『新月譚』なんてまさにそうで、最終回前なんてへたに自分の考えを入れたら物語が小さくなってしまう気がして、本当に頭を真っ白にしてパソコンに向かっていました。物語の流れをつかんで書くタイプなんです。普段はそういうタイプなんですけれど、今回に限っては箱が最初にドーンと降りてきたんですよ。5部構成で、絵を描く男の話で、ラストシーンのやり取りまでが最初にボーンと降りてきた。でもその1個1個の箱の中味は空っぽなんです。漠然とこれは娘の話、これは妻の話と考えながら書きました。ですから枠が言霊で、中身は僕が考えたという、僕にしては非常に珍しいタイプの小説です。
――今は一人で暮らしている伊苅ですが、どうやら娘さんを亡くした過去があるらしいと分かる、では奥さんは今どうしているのかなと思ったら、その後である事実が分かってくる。さらに意外なことも分かってきて……最後には、ああ、だから彼は絵を描いているのか、というところが胸に迫ってきます。
貫井 この『壁の男』に限らず、ここ最近、人のことはそんなに簡単に理解できないというテーマを手を替え品を替え、ずっと書いていることに気づきました。これも2章目で娘が死んでいると分かった時に読んでいる方は「ああそうか」と思うでしょうけれど、でもそんなに簡単に分かるものではないんだと、最後まで読むと理解してもらえるんじゃないかなと思います。分かっていた気でいたけれど、本当はこんな理由だったんだと、最後に分かるような仕掛けになっています。
――さらに、頼まれて絵を描いてもお金を受け取ろうとしない、「お金のためじゃなくて描きたいだけなんだ」というところに、創作というものに向き合う人の気持ちも滲みでていて、そこも大きなテーマではないかと思いましたが。
貫井 そうですね。僕はあまり考えないで小説を書いているものですから、書き終わってから気付くことが多いんです。今回も担当者に「芸術小説としても読めますね」と言われて、あっ、そうなのかなと気づいたんですよ。そこまでは意識していなかったので、指摘されて驚きました。
――そういう人の創作への衝動についてはどう思いますか。
貫井 どうでしょうね。僕自身は今はありがたいことに小説で収入を得ていますが、もしこれで万が一仕事が来なくなって、小説で食べられなくなったとしても、たぶん趣味で書き続けると思います。その衝動は何かと聞かれても……「好きだから」「趣味だから」という単純な理由しか出てこないですね。この伊苅も第1章の段階では、娘が死んだから哀しみを紛らわしているんじゃないかという人に対して、「好きだから描いている」というようなことを言いますよね。そういうプリミティブなものがいちばんの原動力かなとは思います。