台湾の実在するおじいさんにインスパイアされた
――伊苅はどんな絵を描くのかなと想像しました。ヘタウマなのかなあ、と。
貫井 実は、『蜩ノ記』の現代版と決めた後も、何をやる人にするか決めかねていたんです。その時にテレビで台湾の一人のおじいさんが町じゅうに絵を描いて評判になっているという番組をやっていたんです。なぜ絵を描くのか、そこには理由があるんだろうということでインタビューしても「暇だったから」と言っていて、「それだけ?」と思って(笑)。町の人も、自分のところに絵を描かれてもニコニコしていて、そんなことがあるのかと驚きました。「彩虹眷村」という場所で、ネットで検索すると見られます(と、スマホで検索して画像を表示)。
――ありがとうございます。わあ、すごくカラフルで、しかも男の子や女の子、眉毛の入ったうさぎとか、ずいぶん可愛らしい絵なんですね。
貫井 これにインスパイアされました。『壁の男』を読んで、町じゅうに絵を描くなんて荒唐無稽だと思われる人もいるかもしれませんが、実際にあるんですよ。なにもない町だったのに、今はすっかり観光地になって人が押し寄せてきているらしいです。でも、小説に書く時に説得力を持たせるのは大変でした。この台湾の町がどういうプロセスで出来上がったのかが本当に知りたいです。
――小説ではノンフィクションライターが調べるという形で、なぜこの町がこういう状態になったのか、なぜ伊苅が絵を描きはじめたのか、伊苅の人生を遡る形で真実が明らかになります。人の心の謎というミステリに迫っていますが、でもジャンルとしてはミステリといっていいのかどうか。
貫井 犯罪が起きているわけではないので、ノンミステリになると思うんですけれど、ミステリ作家でないと書けない話だろうとは思います。
――そうですよね、ひとつ真実が明らかになるとまた謎が生まれて、それが明らかになるとまた謎が……。しかも毎回胸をぎゅっと掴まれるような事実が明かされる。ノンフィクションライターという狂言回しをおこうと思ったのはどうしてですか。
貫井 やはりその絵を見ていろいろ感じる人が一人必要だったので。その町の内側にいて、伊苅のことを昔から知っている人間だと、絵の見方がまた違いますから。プロローグでライターの彼の気持ちの変遷を書いていますが、最初にネットで見た時はなんでこんなものを描いているんだと思ったけれど、実際に訪れて町全体に絵が広がっているのを見たら圧倒されたという視点、そして読者と同じ位置に立って、読者が知りたいと思うことを追う人が必要でした。