「悲しみのあと」みたいなものが書けたと思う
――純粋に好きだから描くということで、悲しみに暮れていたり自己憐憫に陥っていたりしていない強さを非常に魅力的に感じました。
貫井 『蜩ノ記』がイメージとしてあるので、主人公はめげないんですよね(笑)。これもまた人に言われて「ああ」と思ったんですが、『壁の男』というタイトル、僕は単純に壁に絵を描く男と思っていたんですが、雑誌連載時の担当者に「困難な壁にぶつかっても逃げないで進んでいく、まさに壁の男ですね」と言われたんです。ああそうかと思いました。
――私はそれに加えて、「壁の花」をイメージしました。隅っこにいて目立たない人にスポットを当てた話、というイメージがありました。
貫井 ああ。タイトルとしては地味ですけれど、書き上げてみるとこれ以外はないと思いました。
――それと、地域活性化の話にもなっていますよね。
貫井 そこは本当に台湾の村のプロセスを知りたかったです。それに関してはすごく考えましたね。どんなシチュエーションならこんなことが起こりうるかという。第1章だけはシミュレーション小説のようにして、いろんな事態を想定して組み立てました。読み返してみたら、自動販売機のジュースが売れるようになって感謝されるとか、よくこんな細かいことまで考えたなと自分で感心したくらい(笑)。
――読み終えて感じたのは、いろんな辛い目に遭って、大変な思いをしたとしても人は生きていく、ということです。この後も人生で何が起きるか分からないし、もうすべてを失ったように思ってしまっても、人生って続くんだという。
貫井 そうですね。それはゲラにまとまったものを読み返した時に自分でも思ったことです。この主人公も本当に辛いことに直面して、死にたいくらいの気持ちになったこともあったと思うんですけれども、生きていくしかない。でも泣いて暮らすわけにもいかないじゃないですか。やっぱり悲しみというものも時間と共に薄れていくものですから、そういう「悲しみのあと」みたいなものを書けたのかなと思います。