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初の武器使用で"国民の声"を強く意識した自衛隊

“実際に武器を使用する時代”の嚆矢となったのが、能登半島沖不審船事件だ。

 1999年3月、能登半島沖の領海内に2隻の不審船が発見される。船には、ロケットランチャーなどで武装した工作員が乗っていることが疑われていた。本来対応に当たるはずの海上保安庁の船は猛スピードで逃げる不審船から引き離されたため、海上自衛隊の船が対応にあたることになる。政府は自衛隊に対して武器使用を含む「海上警備行動」を発令。不審船を停船させ、日本の法令に従わせることが命じられた。

 当時六本木にあった防衛庁の長官室で事件の対応に当たっていた海上幕僚長・山本安正が、取材に応じた。山本は、当時の詳細な記録を残していた。

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〈どの程度射撃をしたら国民が納得するのか、シビル(防衛官僚)に聞く。『12~3回の射撃で良いのではないか』とのこと〉

 そこに記されていたのは、国民の視線を強く意識しながら、抑制的に対応しようとする自衛隊の姿だった。

「武力をもった組織の宿命ですね。極端に走った歴史が過去にいろいろあるじゃないですか。そういうのが頭の中にあるんですよね、常に」

 ところが、不審船はこの警告射撃では止まらなかった。

不審船事件で露呈した国民の声の変化

 一歩対応を誤れば、国と国との軍事的な衝突に発展しかねない事態。この時想定していた最も強い措置は「砲による船体に向けた実弾射撃」だった。しかし山本は、これを最後まで実施しなかった。そしてその結果、不審船は逃亡した。

 歴史を踏まえ、国民の視線を意識して抑制的に対応した山本だったが、事件の後、直面したのは一部の国民の厳しい声だった。

「なぜ逃がした」

「税金泥棒」

 防衛庁・自衛隊宛に、大量にメールが届いたのだ。「税金泥棒」という罵声は、かつても自衛隊は浴びたことはあった。それは「自衛隊の存在自体が憲法違反だ」と指摘する声に付随することが殆どだった。しかし、不審船事件を経て、その「罵声」の意味するところは大きく変わっていた。

訓練でヘリコプターから不審船に見立てた船に降りる海上自衛隊「特別警備隊」の隊員 ©共同通信社

「『これだけ予算を付けて装備を与えているのに、何も出来ないのか』ということではないでしょうか。自衛隊の武力行使には大きな法的制約があるという、法体系などを理解している方ばかりじゃないですからね」

 そして、そのこと以上に山本が強調したのは、新聞やテレビなどを介さずに直接「世論」が届くようになったことに対する驚きと、おそれだった。

「もしかしたら、一夜で一変する世論かもしれない。だから怖い。時勢、時局に惑わされないということが、一番ですね、特に、力を持っている組織は」

 事態をエスカレートさせないために、自衛隊にはどのような役割を担わせるのか。90年代の末に起きた不審船事件があらわにしたのは、自衛隊に対する国民の要求に一部で変化が起き始めているということだった。