日米同盟の深化がもたらした専守防衛の“揺らぎ”
日本は、国防の原則として「専守防衛」を掲げている。それは今も一貫しており、自衛隊はその下で必要最小限度の実力組織として国土の防衛に徹してきた。しかし2000年代に入ると、その原則に“揺らぎ”が見え始める。
大きな契機となったのが、2001年のアメリカ同時多発テロだった。日本政府は直ちにアメリカへの支持と支援を表明。テロの10日後には、早くも横須賀を緊急出港したアメリカ軍の空母キティホークの前後を、自衛隊の2隻の艦艇で東京湾沖まで「護衛」するかのように随伴した。
もしもこのときキティホークに攻撃が行われて自衛隊が対処すれば、日本が直接攻撃を受けていないにもかかわらず武力を行使することとなり、集団的自衛権の行使にあたる可能性があるとの批判の声も多くあがった。しかし政府はあくまで「警戒・監視」であり「護衛ではない」と説明した。
実は、この動きには歴史的な伏線がある。この10年前に起こった湾岸戦争の際、日本は部隊派遣を見送ったことで、アメリカから激しい非難を浴び“トラウマ”化していた。
そして、日本に対して“直接的”な支援を強く求めるアメリカに応えるべく生まれたのが、不審船事件の直後に成立した「周辺事態法」だった。日本が、直接攻撃されていない場合でも、「後方」であれば自衛隊はアメリカ軍の作戦に協力することが可能となったのだ。そして、同時多発テロが起こる。ある防衛庁(当時)の幹部は、当時の心境を次のように語っている。
「日本の安全はアメリカといっしょにやらないと確保できない、それはもう骨にしみて、骨の髄までそういう考え方は浸透していました」。
同時多発テロで「日本人を“撃つ”可能性があった」
キティホークの出港時、テロ攻撃はなかった。しかしあのとき、もしも攻撃を受けていたら、何が起きていたのか。
今回私たちはこの件についても自衛隊、そして当時の防衛庁の幹部たちへの取材を重ねた。その結果、“護衛”なのか“警戒・監視”なのかという議論を越えて、私たち自身も想定外だった証言にたどりつく。キティホークに随伴していた自衛隊の護衛艦は「日本人を“撃つ”可能性があった」というのだ。
「ハイジャックされて飛行機が突っ込んでくるとなると、自衛隊としてはその飛行機を“撃墜するかしないか”ということしかないわけです。その場合、飛行機の乗客のほとんどは日本人だと想像されていました。一方キティホークには3000人強の米海軍の乗組員。突入されたら、浦賀水道で沈没する可能性がある。彼らの命を守るために撃墜するのか、しないのか……」
こう証言したのは“護衛”の行動を中心になって計画した海上自衛隊の当時の防衛部長、香田洋二。香田は、現役を引退した今も安全保障や自衛隊の専門家としてメディアに繰り返し登場し、その経験も含めて多くを語っている。もちろん、NHKの歴代防衛担当記者たちも、長く取材を続けてきた人物だ。その香田が、これまで胸に秘めてきたことだった。
「難しいのは、撃墜しなかったからといって、乗客の命は救えないわけですね。しかし撃墜した場合は、日本人例えば200人の命と引き換えに、アメリカ人3500人を救うことが出来る。それは、政治的に、もしくは命の数だけで考えたら理論的に正しいのかもしれない。しかし、日本の国民感情として、許されるかどうかについては、おそらく誰も答えられないんです。
撃墜するのかしないのか、事前に決心ができるほど私は強くありませんでした……。本当に、ここで時間が止まってくれたらとか、この世の中から自分がいなくなれば楽かなということは考えました」
日米同盟を堅持するために、旅客機を撃墜して自ら国民の命を奪うのか――。
自衛隊は、アメリカ軍を守るために武器を使用するケースがある。そしてその矛先が結果として国民に向く可能性もあり得る。その時に、「日米同盟という大義のためであれば仕方がない」と、私たちは受け入れることができるのだろうか。