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メルカリCEO山田進太郎 「ありのままの自分」を受け入れてから人生が好転した

メルカリCEO・山田進太郎インタビュー #1

2019/06/13
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小学校ではリーダーについて回る参謀タイプ

 1977年9月21日、瀬戸物で有名な愛知県瀬戸市に生まれた山田は、父が弁護士、母が税理士という比較的恵まれた環境で育った。

 地元の公立小学校では、リーダーについて回るような参謀タイプで、やんちゃというよりは大人しい性格。友達と遊ぶのも好きだが、一人でいるのも好き。図書室に籠もって本を読みふける時もあった。

©文藝春秋

「基本的には自由放任で強制されず、中学受験も『公立に行く選択肢のメリットはこうで、私立はこうで』と説明されて、『私立行くなら塾に行かなきゃいけないから大変だよ』みたいな感じの親でしたね」

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凡人であることを思い知らされたできごと

 委ねられた山田少年が選んだのは、愛知県屈指の名門校だった。

 1990年4月、名古屋市の私立東海中学校に山田は入学した。中高一貫の男子校で元首相の海部俊樹や建築家の黒川紀章など多数の著名人を輩出している。

 ここで山田は洗礼を受けた。地元の瀬戸市では頭の良い部類にいたが、東海では平凡。どころか、クラスで下から数番目。高校にエスカレーターで進学しても好転しなかったと山田は述懐する。

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「高校に入ってすごく頑張った時期もあったけれど、それでも450人中120位くらい。上の100人くらいはとてつもなく頭が良くて、これはもう出来が違う。敵わないなと」

 過半数が理系でその多くが医者になるという環境で、地元とは裕福の度合いも違う。部活のハンドボール部では毎日の厳しい練習で腰を痛め、補欠に終わった。

 山田は自分が「凡人」であることを思い知らされた。

「すごい凡人感というか、何かめっちゃ普通だなぁと。自分が何者でもないみたいな感覚がすごくあった」

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 だが、山田は腐らなかった。

 こいつらと一緒に東大やら官僚やら、医者やらを目指しても負けは見えている。そんな大きな山に登っても意味がない。自分の価値を生かすには、小さくてもいいから何か別の山を自分で作るしかない――。

 いつしか自らの生存戦略に思いを馳せるようになっていた。他の凡人と山田との違いはまずここにある。

 とにかく山田青年はもがいた。

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 高校時代、ひたすら古典文学を読み、小説家を目指そうとしたことがある。だが、村上春樹著の『若い読者のための短編小説案内』を読み、そこで紹介されていた本の解釈が自分とはまったく違うことを知り、「村上さんのような解釈ができない自分はダメだな」と諦めた。