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2019/06/13

 建築家になりたかった時期もある。早稲田大学理工学部建築学科を志望し、デッサンの勉強もしたが、これも「才能がない」と諦めた。

 ただ、可能性を広げるために東京の大学に行っておいた方がいいと思い、自分の限界内で頑張ろうと考えた。そして、父が早稲田大学だったこともあり、早稲田大学教育学部に進学した。

 そして山田は大学在学中、自らの人生を変えるような幾つかの出会いや気付きに恵まれることになる。

©文藝春秋

心を晴らしたニーチェ

 1996年4月。早大生となった山田は、「アイセック早稲田大学委員会」に入った。アイセックは学生を対象にグローバルリーダーを育成する国際組織。70年以上の歴史を誇り、世界126の国と地域で約7万人の大学生に根を張る。その早稲田支部に何気なく顔を出した山田は、またしても洗礼を受けた。

 そこでは、いわゆる「意識高い系」の学生が社会人顔負けのプレゼンテーションを繰り広げ、英語も自在に操っていた。自分の居場所を求めて来たはずなのに……。デジャブのような感情に襲われた。

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「アイセックに限らず、いろんな才能が溢れる人を見て、本当に自分はどうすればいいんだろうと、悶々として。鬱まではいかないけれど、家に引きこもりがちになって。人間関係が上手くいっている感もないし、学生生活を謳歌している煌びやかな人たちとのギャップを感じて、すごく辛かったですね」

 そんな悩める山田の心を晴らしたのは、フリードリヒ・ニーチェを始めとする哲学書だった。

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「悶々としながら、いろんな哲学にハマっていって、ニーチェの思想に触れた時、これじゃん! って。凡人が抱きがちな、行動を伴わない内に秘めた嫉妬、いわゆる『ルサンチマン』みたいなものは、何も産まないし、どこにも進めない。自分の中からは捨てようと。逆に、超人思想みたいに、優れているものは優れているとちゃんと認めようと思えた」

 自分は凡人だと分かっていても、どこかに天才や秀才に嫉妬するルサンチマンのような感情があった。それを捨て、ありのままの自分を受け入れたこの「事件」は、その後の山田の人生を好転させた。

(文中敬称略)

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