2008年作品(139分)/フジテレビジョン/2856円(税抜)/レンタルあり

 先日、個人的な取材で富山に行った。宿泊したのは安いビジネスホテルだったのだが、なんとその窓からは立山連峰が一望できた。そして、その端にひときわ高くそびえる山があった。劔岳(つるぎだけ)である。

 その威容を眺めながら、ふと思った。ああ、ここに夏八木勲がいたんだなあ――。

 というわけで夏八木勲七回忌特集の最後となる今回は『劔岳 点の記』を取り上げる。

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 舞台は明治時代。測量のための国家プロジェクトとして公式には未踏峰だった劔岳の登頂に挑んだ人々の苦難が描かれている。しかも、撮影は実際の劔岳で行われた。

 そのため、標高三千メートルの切り立った岩稜帯が続く国内有数の難所に当時の装備のまま登ろうとする俳優たちの姿は、圧巻の迫力。息を飲む大スペクタクルの映像が連続するため――物語自体は平板なのだが――それが気にならないほどにハラハラしながら画面に見入ってしまう。

 ただ、公開時に映画館で観終えた時に心に刻まれていたのは、なんといっても夏八木。短い登場シーンであるにもかかわらず、大スクリーンに映し出される劔岳の威容も、命がけの撮影に臨んだ俳優たちも食ってしまうほどの、圧倒的な存在感を見せつけていた。

 夏八木が出てくるのはまず冒頭。行者姿で吹雪を全身で受けながらお経を唱えていた。ほんの数秒なのだが、ただならない異様さを放つ。

 そして、本格的な出番は中盤。雪の劔岳で登頂ルートを探る主人公の柴崎(浅野忠信)と案内人の長次郎(香川照之)はある大きな岩窟を見つける。その中にいたのが、夏八木。行者として一人で護摩を焚き続けていた。この時にいきなり映し出される、焚き火に照らされた夏八木の表情の凄まじい迫力に驚かされる。

 やがて行者は力尽き、柴崎に背負われて下山することになる。ここで行者は、「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」「劔岳を真に開山すれば、山は神となり、仏となる」と、謎かけめいた言葉を主人公たちに与える。吹雪の中に映る夏八木の姿は一転して幽玄。その言葉に神秘性をもたらしていた。

 炎に照らされる「赤い夏八木」も、吹雪の中の「白い夏八木」も、明らかにただの行者ではなく映る。雪の劔岳の景色に完全に溶け込み、まるで山の一部かのよう。というよりも――一切の潤いを断ったかの如きゴツゴツした面相、向こう側に見えてくる人智を超えたスケール――その姿は、劔岳そのものに見えた。「劔岳が擬人化して現世に降り立った化身」である。

 三千メートルの「神の山」に匹敵する存在の役者。それが夏八木勲だった。

泥沼スクリーン これまで観てきた映画のこと

春日 太一

文藝春秋

2018年12月12日 発売