高校時代の下校時によく立ち寄った高田馬場のレンタルビデオ店の話を少し前に紹介した。その店はこだわりのラインナップを取り揃えており、なかなかにマニアックな作品に出会うことができた。
この店の日本映画のスペースは旧作も充実していたのだが、その中で独立したコーナーを設けられていた監督は、一人だけだった。それは黒澤明でも小津安二郎でもなく――なぜか、山本薩夫だった。
作風は一貫して反体制。だからといって思想信条を前面に出すような作り方はしなかった。観客を楽しませることを第一とし、背景に批判精神を巧みに盛り込んだのだ。
そのため、左翼系の監督では珍しく、『白い巨塔』『忍びの者』『戦争と人間』『華麗なる一族』――と、メジャー会社の大作映画も数多く撮っていた。そんな魅力を、高田馬場のレンタル店で教わった。
今回取り上げる『天狗党』も、山本薩夫らしい作品といえる。ビデオがあまり出回っていない上に名画座でかかる機会も少なかったため、当時は観ることができないでいた。
舞台は江戸末期。貧しい百姓たちを救済する「世直し」のために筑波を中心に決起した天狗党の顛末が描かれる。
序盤は主人公の百姓・仙太郎(仲代達矢)の復讐譚。仙太郎は飢饉のため年貢の減免を代官所に願い出るが、そのために重い仕置きを受け、村を追放されてしまう。怒った仙太郎は江戸で剣法の修行を積み帰郷、酷い目に遭わせた親分を討ち果してのける。
アクションあり恋模様ありの娯楽満載の展開に、全身から強烈な怒りを放つ仲代のカッコよさもあいまって、実に快調なスタート。楽しみながら物語に引き込まれる。
活躍が認められ、仙太郎は天狗党にスカウトされる。本作が面白いのは、この天狗党を理想的な革命集団として扱っていない点である。何か企んでいそうな隊長・水木(神山繁)、理想のためには手段を選ばない隊士・加多(加藤剛)――、どこか尋常でない狂気をはらんでいるのである。
後半はその理想のなれの果てが描かれる。それも、スピーディなアクションとドラマチックな悲劇を通して。その結果、娯楽として楽しんでいたはずが、観終えてみると「正義とは?」「理想とは?」と突きつけてくるのだ。「体制=悪、それに抵抗する者=正義」という単純な対立構造だけで展開させず、その正義の孕む矛盾や限界も露呈させている。そしてこれは、現代にもビビッドに響く問いかけといえる。
馬場の店の棚には「今のような時代こそ山本薩夫が必要だ!」という熱いコピーが躍っていた。本作を観ていると、全く同じ想いに駆られる。