1960年作品(111分)/東宝/4500円(税抜)/レンタルあり

 その役者人生をインタビューさせていただいた最新刊『仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』(文春文庫)の執筆に当たり、改めて仲代のフィルモグラフィを俯瞰して驚かされたことがある。

 それは、役柄の幅の広さだ。たとえば黒澤明作品だけをとっても、『用心棒』では蛇のような冷酷なやくざを演じたかと思えば、翌年の『椿三十郎』では剛直な侍を演じた。五社英雄作品のやくざ役でも、『出所祝い』ではストイックな男を演じる一方で『鬼龍院花子の生涯』では粗野な男を演じる――といった具合に、一人の役者とは思えないほど千変万化の様を見せているのだ。

 ただ、演じてきた役柄には一つだけ共通点がある。それは、その多くが平凡な日常を暮らす「マイホーム」感からかけ離れた役だということだ。そして仲代は、それを強烈な殺気や狂気と共に演じてきた。

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 では、だからといって仲代が「平凡な人間」を「日常的な芝居」で演じられない役者かというと、そうではない。

 そのことは、今回取り上げる『女が階段を上る時』をはじめとする成瀬巳喜男作品での仲代を見ればよく分かる。

 日常的リアリズムを重視する成瀬に「静かに演技してね。立ってるだけでいいからね。黒澤君とこでやってるみたいな、ああいう大げさな芝居しないで」と言われた仲代だが、最終的に全ての作品でその要求に完璧に応えているのだ。本作も、しかり。

 舞台となるのは銀座のバー。仲代は、ヒロインである雇われママ・圭子(高峰秀子)を支えるマネージャー・小松を演じている。売上減に苦しみながらも気丈に振る舞う圭子だったが、内心では夜の世界に虚しさを覚え、孤独感を深めていた。小松は、そんな圭子に惚れ込んでいるが、その気持ちを表に出すことはなくストイックに距離を保つ。そして、横にいつも寄り添い、粛々と仕事をこなしていく。演じる仲代は、たたずまいも言い回しも淡々としていて、日常描写を積み重ねて物語を展開させていく成瀬の世界に見事に溶け込み、まさに「立ってるだけでいい」静かな演技を実践してのけていた。

 本作の仲代が素敵なのは、その淡々とした静かな芝居の裏側から心の奥底の想いを感じ取れることだ。ちょっとした目線、間、口調、表情――その一つ一つから圭子への愛しさがそれとなく伝わってくるのである。そうした小さな積み重ねが気づかぬうちに効いていて、最後に想いを告げる場面が切なく迫ってきた。

 仲代は言う。監督の要求に応えるべく、あらゆる技を磨いておくことが役者の使命だ、と。それが言葉だけでないことを、本作でも実感できる。