『仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』が文春文庫から刊行された。
これはタイトルの通り、出演してきた様々な名作映画の舞台裏について仲代に筆者がうかがったインタビュー本で、以前PHPから出た新書を大幅に増補して文庫化した一冊だ。表題となっている過去の話はもちろんだが、八十四歳の今もなお現役の役者として新境地を開拓し続ける仲代の現在進行形の活動や、演技に関しての様々な芸談も新たに書き足すことができ、新書版をご覧になった方にも「新作」として刺激的に受け止めていただける一冊になっている。
この刊行に合わせ、しばらく仲代出演作を取り上げていきたい。まず今回は『黒い河』。今からちょうど六十年前、仲代が二十四歳の時の作品だ。
舞台となるのは、厚木の米軍基地近くにある貧乏アパート・月光荘。業突くな幹子(山田五十鈴)が大家の、今にも崩れそうなオンボロの二階家には一クセある住人ばかりが暮らしていた。仲代が演じるのは、愚連隊のリーダー、通称「人斬りジョー」だ。
サングラスにネッカチーフ、口元に薄ら笑いを浮かべた登場時の仲代の姿を見ているだけで、すぐにジョーが厭らしく冷血な男だと分かる。この男が大家や業者と組んで住人の立ち退き工作を進めることで物語が動くのだが、だからといって「ただの厭味で冷血な悪役」では終わらない。
ジョーは想いを寄せるウェイトレス・静子(有馬稲子)を強引に犯して自分の女にしてしまう。そして静子は西田(渡辺文雄)という想い人がいながらも、ジョーから離れられなくなっていく。
静子の行動は、ジョーが厭らしく冷たいだけの男だったら理解しがたいものになってしまうところだ。が、仲代の演技がそこに説得力を与えた。
静子に接する時の大半、その大きな瞳は蛇のように凍てついた迫力があり、「この男から逃げられない」という恐怖を感じさせる。――と思ったらジョーは時おり真っ直ぐに愛を語ってくるのだが、その際の仲代の瞳には一転して純な熱情が灯っているのである。
この巧みな「瞳の温度差」のギャップには魔性すら感じさせる色気があり、ジョーに心ならずも籠絡されてしまう心情が理屈を超えて理解できる。同時に、二人の男の間で苦悩する静子の心情も生々しく伝わることになった。
そして、この時の演技を小林正樹監督に気に入られた仲代はその後すぐに超大作『人間の條件』全六部の主演に大抜擢され、役者としての栄光の道を歩み出していくことになる。名優の原点といえる怪演、今回の刊行に合わせてぜひ確認していただきたい。