1915年の暮れ、北海道苫前村三毛別(とままえむらさんけべつ)の開拓地にあらわれた人喰い羆(ひぐま)は何人もの女性や子供たちを食い殺し、胎児を掻き出し、開拓移民小屋10軒を荒らしまわった。世界にも類を見ないこの食害事件の真相について生存者の証言を丹念に聞き取った元林務官・木村盛武氏によるノンフィクション『慟哭の谷』より、悪夢の始まりとなった「第1章 惨劇の幕明け」を全文転載する。

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今まで見たこともないほどの大きな熊の足跡

 北国の山あいは日のさす時間が短かい。ここ北海道苫前村三毛別の奥地六線沢では、11月の初め頃にはみぞれが降りはじめる。そんな寒空の夜がしらみがかったころ、開拓者池田富蔵家の軒端から何やら尋常ではない物音が聞こえてきた。

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「風にしては……」

 といぶかる間もなく起こる馬のいななき、激しく壁を蹴りつける音……。

 馬が暴れ出した。動物の勘は鋭い、どうやら熊が出てきたらしい。熊が軒下に吊したトウキビをあさりに出てきたのだ。

 トウキビの被害はわずかですんだ。だが、みぞれでぬかるんだ地面に深く沈んだ熊の足跡をみて、富蔵は思わず息を飲んだ。それは、今まで見たこともないほどの大きな熊の足跡だったからだ。

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 大正の始めころまで、熊の出没は日常の茶飯事であったが、周辺の林内に限られていた。そんな安心感があってか、この熊の出現を富蔵は驚きはしたものの大して気にも止めずにいたのだった。すると20日過ぎの未明、またしても馬が暴れ出した。彼は急いで外へ飛び出してみたが、すでに熊の姿はなくトウキビが束になって落ちているだけだった。2度とも馬がやられなかったのは不幸中の幸いであり、不思議にさえ思えた。

 ――しかし、さすがにノンキ者の富蔵も熊の脅威を身近に感じてだんだん不安になってきた。

「こう何度も熊が現れるようでは、また来るのでは……。なにせ二度あることは三度あるというからな……」