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「なんとか使者を交替してくれないか」

 雪国の12月は日暮れが早い。午後も3時を回れば太陽はすでに山の端に傾いてしまう。追跡するにはすでに遅く、この日は手の打ちようがなかった。幹雄の遺体を太田家の寝間に安置し、集まった男たちはとりあえず近くの明景安太郎家におもむき夜が明けるのを待つことにした。隣家とはいえ、太田家と明景家は500メートルも離れている。その夜のうちに、太田家の凶報は三毛別部落内に伝わり、近隣は上を下への大騒ぎとなった。とにかく一刻も早くこの事を周辺に知らせ、マユの遺体を取り返し、熊を撃ちとらなくてはならないのだ。

 この地から最も近い羽幌警察分署古丹別巡査駐在所まででも19キロメートル、苫前村役場までは30キロメートルあまり、中間に点在する部落には通信手段などあろうはずもない。ひたすら深い雪道を歩くほかはない。しかし、家族を残してこの遠路を急使に出ようと名乗り出る者は1人もいない。だが、一刻も早く使者を決めなければならないため、クジで決めることに全員の意見が一致した。こうして使者に決まったのは、太田家のすぐ川下に住む中川孫一であった。

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 だが中川はなんとしても気が進まない。

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「なんとか使者を交替してくれないか」

 と、彼は斉藤石五郎に頼み込んだ。

「それほど言うなら、せめて家内や子どもを安全な場所に避難させてからにしてくれ」

 人の好い石五郎は条件付きで承諾した。

「そのことなら任せておいてくれ。マタギも大勢来ているし、大船に乗ったつもりでいてくれ」

 と中川は石五郎を安心させた。

 10日早朝の五時、石五郎は留守中の妻子のことをくれぐれも頼んで開拓地を発った。夫を送り出した妻のタケは、比較的安全と思われる900メートル川下の明景安太郎の家に、3男・巌と4男・春義を連れて避難した。最初、石五郎一家は最も安全といわれた三毛別分教場に避難するつもりであったが、石五郎が急に使者として出発したので、急遽、避難場所を変えることにしたのだった。「私の股なら肥えてうまいから、熊も食いごろだろうね」

 タケは明景家へ避難していく途中、わざわざ自分の太い股を叩いてみせ、同行した婦人と大笑いした。

 一方、大任を果たした斉藤石五郎は、この翌11日昼近く苫前村の小畑旅館を発ち、妻子が待つ六線沢のわが家に向かっていた。三毛別部落に入って程なく、彼を迎えたのは、あまりにもむごい妻子受難の知らせであった。その瞬間へなへなと雪上に崩れ伏した斉藤は、声を限りに号泣した。