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作品を貫く時代性より大衆性

――そこまで清張さんの作品に惹かれる理由はどこにあると思いますか?

みうら  いい比喩をされるし、語彙も豊富だし、文学性もあるんだけれど、大衆寄りでわかりやすいところですかね。古代史の話とか学者なら難しくわかりにくく書きそうなことを、清張さんは一般大衆が興味を持てるように犯罪や推理を絡めてわかりやすく説いてくれます。政治の話や宗教の話なども面白く描くし、ものすごい物知りでおられますよね。清張さんが『点と線』を書かれた年齢より、今の僕のほうが年上になっちゃいましたけど(笑)。 清張さんの作品は、時代性よりも大衆性が重視されているから、いつまでも読み継がれるし、何度もドラマ化されるんでしょうね。時代設定を現代に置き変えても面白く仕上がるように、未来を見越して書かれていたんですね。

――米津玄師さんや「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音さん、古市憲寿さん、ヒカキンさんなどが集まって飲んだりしていると聞いたとき、『砂の器』のヌーボー・グループ(音楽家や評論家などの若手文化人集団)を思い出しました。どの時代にもそういう若者のグループが出てくるんだなあ、と。

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みうら なるほど。清張さんは、ご自身のデビューは40歳を過ぎてからでしたし、ヌーボー・グループのような若い頃にデビューした人たちのことを苦々しい気持ちで見つめ続けておられたんじゃないかなあ(笑)。「週刊文春」はそういう清張さんのスピリッツを引き継いで、現代のヌーボー・グループに張り付いて文春砲を打っているんでしょうね(笑)。清張さんは、  どんなことに対しても疑問をもたれていて、人間の生み出す煩悩を暴きたいと思われていたんじゃないですかね。

――今回のムックには、みうらさんが清張さんを意識して書かれた小説(「松本清張の悪夢 痕跡」)も再録していますね。

みうら そうなんです。その頃、清張さんが決して扱わない主人公として、中流家庭で育った「三浦純」というふざけた男が「清張地獄」に堕ちる小説を書いてみたかったんです。昔から僕のコンプレックスは、何においても「中流」なことでした。だから人物に特徴がない。個性がないと言ってもいいでしょう。でも「中流」って、今の世の中では多くの人に当てはまるし、中流の男にも「清張地獄」に堕ちる可能性はあるでしょ。今はネットが炎上したりして、世間が誰かを地獄に堕とすことも多いですけどね(笑)。

©みうらじゅん

――「清張地獄」のスイッチは、今も至る所に仕掛けられているんですね。

みうら 清張さんの描く犯罪者の多くは、因果応報のカルマに苦しめられますが、今は理由なき犯罪者も増えましたよね。昭和より今のほうがずっと怖いし、本当の地獄の時代がきたような気がします。 因果応報という仏教の教えがなくなった社会が一番怖いですよね。最近は、そういう社会にどんどん近づいている傾向がありますし。今も清張さんのドラマがくり返し作られるのは、因果応報の教えを留めるためなのかもしれませんね。善と悪、そしてその中間のグレーゾーンを描き切った清張さんの小説を、ぜひ読んでほしいと思います。そして、今回のムックがその手引きになれれば嬉しいです。