左翼の怠慢さが、現在の平和不信という空気をもたらした
――保阪さんは左翼陣営の歴史観に関しても「安易に『平和』という言葉を使ってきた左翼の怠慢さ、傲慢さが、現在の平和不信という空気をもたらした面は予想外に大きい」(『ナショナリズムの正体』)と批判的ですが、保守的な歴史修正主義についても同じようなことを思われていますか?
保阪 歴史修正主義と唯物史観の人を一緒にするとちょっとかわいそうですけどね。歴史修正主義は、心理的な……これはうまい言い方をすることが難しいですが、一つの病理だと思っています。歴史修正主義というのは、政治に歴史を持ち込んで自分たちの心理的なフラストレーションの解消に使っているだけだから、僕はあまり接触していないですね。
――新刊の『令和を生きるための昭和史入門』では、仏教用語の「顕教」と「密教」という表現をされています。
保阪 「オモテ」の言論と「ウラ」の言論とも言いかえられますね。昭和10年代の日本では、オモテにあたるのは「軍事主導体制」や「帝国主義」などへの賛歌でした。それを政府やメディアが「顕教」にのっとった言葉で世論を動かしていた。これが劇的に変わったのは、昭和20(1945)年の敗戦でしょう。「密教」であった「民主主義」や「反軍主義」がオモテとなり「戦後民主主義」になりました。一方、戦前・戦中で主流だった考え方はウラに転じました。
いわゆる「右傾化」とは、権力が「密教」に近づいた結果
――「あの戦争は聖戦だった」「南京事件はなかった」と語る人たちは、昔から右翼陣営などにいました。かつては「密教」だったのかもしれませんが、今では安倍首相の周辺にそうした考え方をする人たちが集まってきて、急速に影響力を増しています。
保阪 そうですね。結局のところ、いわゆる「右傾化」というのは、「権力」が密教に近づいた結果、戦後の「顕教」であり続けた「戦後民主主義」が後退したということにほかならないと思います。そして嫌な表現だけど、「密教」的なものを求める社会全体がある病理を抱え込んでいると思う。その理由は何かといったら、唯物史観の論者があまりにも歴史を不遜に扱ってきたから。だからここでもう一度、僕らは足で調べた事実をもって、実証主義的に歴史を見ていく。こういうことが、必要なんじゃないでしょうか。
僕はよく言うんだけど、「記憶」が父親、「記録」が母親ならば、その2人の間には「教訓」あるいは「知恵」という子供が生まれるんだと思うんです。だから、記憶と記録はどちらも大事だと言いたい。そしてそれを帰納的に突き詰めていって、多様な解釈を通して何か教訓が出てくればいい。平和とは、その最後の段階の言葉だと思っています。