アカデミズムではなく、ジャーナリズムにいる僕らだから言えること
――今、実証という言葉が出ましたけれども、歴史修正主義への反動として、アカデミズムの実証主義的な歴史学をことさら称揚し、さらに進んで、作家やジャーナリストの歴史研究や歴史著作まで否定的に捉える向きもありますね。非アカデミズムだからこそできる、歴史との向き合い方、付き合い方はあるでしょうか?
保阪 僕らは在野でジャーナリズムの仕事をしているけど、場合によっては、アカデミズムの領域にも入っていきますし、その逆もあります。ジャーナリズムとアカデミズムが重なる部分、ここがバランスを取るためには非常に重要です。僕らがハンターのように資料を集めて、提示しますよね。もちろん、僕らも料理するのですが、理論的咀嚼という料理の仕方、つまり資料を多角的に読むことについては、アカデミズムのほうが優れていると思う。
その代わり、農本主義者・橘孝三郎がどういう息遣いで、「先生、最終的になぜ五・一五事件に参加したのですか」「それはな、君、青年将校の目がきれいだったからだよ」と語ったのか。これはアカデミズムではなく、ジャーナリズムにいる僕らだから言えるんです。
――かつては、雑誌などが両者を引き合わせる場所になっていたと思いますが、最近はそういった場所が減り、どんどん分かれていってしまっているように見えます。例えば証言をせっかく取ってきたのに、その証言が客観的に記録されていないから、捏造したんじゃないかと言う人がいたり。そういった傾向については、いかがですか?
保阪 僕もそれは感じますよ。アカデミズムの人の中にはジャーナリズム的な手法、ジャーナリズム的な書き方にものすごく嫌悪感を持っている人がいることは、文章を読んでいてすぐに分かる。それはそれで分かる。しかし、例えば一橋大の吉田裕さんは、「保阪さんたちがいるから、我々には座って資料を読むことのできる時間がある」ということを言っていました。東大の加藤陽子さんなんかも、僕らのような存在を認めているように思う。そういう人たちと僕らは友好的なんだけど……。
「初めて東條の実像を書いてくれた」歴史学者からの手紙
――歴史研究の専門化・細分化が進み、「小粒」になったといわれる一方で、これまでが大雑把すぎたとの批判もありますね。
保阪 確かにそういう意味でも、アカデミズムとジャーナリズムの分断はあるのかもしれません。ただ、以前に政治学者の升味準之輔氏から手紙をもらったことを思い出しますね。『昭和天皇とその時代』について僕が書評を書いた時のことだったんですが、「あなたの書評に私は納得するし、よく読んでくれた。うれしい」というような手紙をくださった。もし学者同士であれば、立場によって評価が変わるのかもしれないですが、僕は何の関係もないから、「一人の知識人の生きる姿が、なるほどと納得できる」と書いた。そういう率直な読み方をしてほしかったんだなと思って、驚いたことがありましたね。
それから、『東條英機と天皇の時代』を出版した時は、歴史学者の家永三郎氏から長文の手紙が出版社気付で届きました。手紙には、初めて東條の実像を書いてくれた、という感想と、父親の思い出が綴られていました。父親は東條と前後するころに陸軍士官学校を卒業した軍人だったそうです。僕は家永氏の本に対してはあまり熱心な読者ではなかったから、何とも言えない気持ちにもなったんですが、しかし好き嫌いは別にして、やっぱりそこにお互いに礼節というのが通い合いますよね。「ああ、読んでくれたんだな」と。だって、あなたの場合もそうでしょう? 中には礼節を尽くす人、いるでしょう。
――はい、もちろんいます。
保阪 見えないところで礼節を尽くす人ってちゃんといるんですよね。だから、そういう人はやっぱり信頼できる。たとえ嫌いであってもね。
写真=佐藤亘/文藝春秋