元首相、陸海軍軍人ら約4000人を取材してきた、昭和史研究の第一人者である保阪正康さん。出版社勤務を経て、フリーのノンフィクション作家として著述業を続けている保阪さんに「歴史家」としての歩みを伺いました。聞き手は近現代史研究者の辻田真佐憲さんです。(全3回の3回目/#1、#2から続く)
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短い原稿は、iPadで書きます
――保阪さんは、今でも原稿は手書きですか?
保阪 いえ、昨年の夏に書痙になってしまったので、短い原稿は、こうやって(キーボードのタッチ)書いています。
――パソコンですか?
保阪 iPadです。昔は手書きでしたよ。大体頭でコンテを考えるでしょう。そうしたら、400字5枚を1時間で書けた。2000字ですね。変な表現なんですけど、自分で目から神経が動くのが分かるくらいのスピードで書けました。今は、頑張って1時間で3枚。
――iPadではインターネットを見ることができますが、普段は利用されますか?
保阪 インターネット、僕は使い方が分からないから。娘に何回聞いても、よく分からないんですよね。
――では、ネットを調査のために使うということは?
保阪 あまり使わないです。僕がボタンを押すと遅いんですよね。なぜ娘が押すと早いのか、それが分からない(笑)。長い原稿は少しずつ手書きで書いていますけどね。
編集者などを経て、20代後半でフリーとして独立するまで
――ものすごい量の原稿をこなされてきたわけですけれども。
保阪 今年の8月31日から11月8日まで、北海道立文学館というところで「ノンフィクション作家・保阪正康の仕事 『昭和史』との対話」という企画展をするそうで、学芸員の人が張り切っていて、本を全部並べると言うんですよ。僕でさえ3~4冊、手元にないんですよね。版元の中にはつぶれているところもあるから、古本屋を当たったりして探しているらしいけど、確かに200冊以上だと言っていました。
――保阪さんは大学卒業後、編集者などを経て、20代後半でフリーとして独立されました。そのあたりを伺いたいのですが、さきほど大学院のお話がありました。ご専攻は何を?
保阪 社会学の中でもコミュニケーション論です。大学は同志社の文学部の中の社会学でしたから、もともと日本史そのものに深い関心を持っていたわけではなかったけど、大学院では幕末の各藩の情報の流れが現代の地方史に結び付いていることを研究したいと思っていたんです。ちょっと他の人がやらないテーマなので、「すごくいいテーマだから、お前は大学院に行ってやれ」と言われて。ただ大学院では英書を読んだり、そういう基礎勉強をやるじゃないですか。あなたも大学院でしょう?
――私の場合、ドイツ語でした(笑)。その後、保阪さんは大学院をやめて、電通のPRセンターに入られました。
保阪 電通PRセンターでは2年半ほど仕事をしました。給料はすごくいいんですよ。当時、平均月給が2万2000~3000円くらいで、5万円もらっていたから。70人くらい入社するなり、仲間には見合いが殺到していたね(笑)。