今年の5月から始まった令和の時代。昭和からは遠く離れ、30年が経ちました。これからを生きる上で、現代人が「昭和史」から得られる教訓は変わらずにあるのか、それとも相対的に重要性は下がっていくのか。第一人者であるノンフィクション作家の保阪正康さんに、近現代史研究者の辻田真佐憲さんが聞きました。(全3回の2回目/#3へ続く)
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『昭和史』について、ずるいなと思っているところがある
――1950年代後半に、亀井勝一郎氏らが参加した『昭和史』論争がありましたね。岩波書店から出版された『昭和史』(遠山茂樹、今井清一、藤原彰共著)を巡って「人間が描かれていない」などといった批判が起きました。保阪さんは「『昭和史』に亀井さんが突きつけた疑問は正しいと思う」(『「戦後」を点検する』)と、こうした意見にも一理あるという立場を取っています。
保阪 『昭和史』論争が起きた時、僕は学生でした。高校生の時に初めて読んで、内容はさっぱり分かりませんでしたが、大学生の時にベストセラーになっていたので再び読みました。これは共産党の視点で書いている本だな、というのは分かる。遠山茂樹、今井清一、藤原彰という3人は戦争学徒、ないしは戦争を体験した戦後の研究者ですよね。いわゆる唯物史観の人たちです。この人たちが歴研(歴史学研究会)を取り仕切ってきたわけです。
僕は『昭和史』について、ずるいなと思っているところがあるんですよ。それは、2版にする時の……。
――修正ですね。
保阪 そうです。書いてある内容と変わっていくでしょう。その変わり方にずるさがあると思います。さらに僕が疑問を持ったのは、ソ連が第2次世界大戦に参戦することによって、第2次世界大戦の性格が変わったと書かれている点です。つまり、ソ連が参加しなければファシズム同士の戦いだったのに、ソ連軍参戦によってファシズムとデモクラシーの戦いになったと。僕は全く納得しませんでしたが、そうした書き方で本が売れたということは、社会全体にそれを許容する空気と勢いがあったということでしょう。
反発が出たことは当然で、大きく2つの形で出たと思います。亀井さんの「現代歴史家への疑問」(『現代史の課題』所収)と竹山道雄さんの『昭和の精神史』です。僕としては、亀井さんがより本質を突いた批判を投げかけていたと考えています。