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ノンフィクション作家・保阪正康が語る「『昭和史』からの教訓と、平成の天皇との私的な懇談」

保阪正康インタビュー #2

2019/06/30
note

『昭和史』論争とは、一体何だったのか

――「公平を粧う臆病者があまりにも現代史家に多いのではないか。『客観的』な臆病者が多いのではないか」「人間性についての実証力は衰弱している」(亀井勝一郎「現代歴史家への疑問」)などの記述は、現在でも読み応えがあります。

聞き手・辻田真佐憲さん(左)

保阪 もう一つの反応も紹介しましょう。昭和39(1964)年に出版された林房雄氏の『大東亜戦争肯定論』。僕はこの本を、ずっと読んでいませんでした。5年前に、中公文庫から復刻された時、解説を頼まれたので読みましたが、あの林房雄でさえも、日本の軍国主義は侵略だったと言っているんですよ。なるほど、と思いましたね。侵略ではあるけれども、100年という長い歴史の中で日本が進む道としてはあれしかなかったという肯定論です。

『昭和史』論争とは、唯物史観の歴史観に欠けているところ――人間や戦争というものは長い尺度で見なければいけない――そういう点について、当時の保守論客が指摘した、ということだったのではないでしょうか。

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昭和何年頃と「似ている」という言葉の安易さ

――昭和史については、「教訓」ということが必ず言われます。教訓はもちろん大切ですが、その一方で、何でもかんでも「戦前回帰」だといって、戦前との共通点ばかり指摘して警鐘を鳴らす風潮もみられます。このような昭和と現在の比較については、どうお考えですか。

保阪 よく僕のところにも「今は、昭和の何年頃と似ているんでしょうか」という取材があります。正直、僕は似ているという意味がよく分からないんですよね。「似ているといったら、じゃあ江戸時代とも似ていると思うし、室町時代とも似ているんじゃないの?」なんて冷やかすけれども、「似ている」という言葉の安易さ、ですよね。人間が同じことを同じかたちで繰り返すなんていうのは、あり得ないわけです。

 

――「まだこの社会には『自由な討論』や『意見の発表』はできうるし、肉体的な暴力の近接性はそれほど強く感じない。こういう理由を挙げて、軽々に『昭和のある時代と似ている』などと説くのは一知半解の謗りを免れない」(『安倍“壊憲”政権と昭和史の教訓』)とも書かれていますね。

保阪 これはとても重要なことなのですが、あの時代の過ちが、日本史全体、あるいは日本人の国民性に敷衍できるわけではないのです。時々、僕も新聞からコメントを求められて「しいて言えば昭和8年くらいと似ているかな」などと言うと、すぐ大きな見出しにされてしまいますが。