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22歳で亡くなった息子のことを、やっぱり忘れる日はない

――歴史家の人生を振り返ったとき、重要だった転機や事件を伺いたいと思います。お尋ねすることがはばかられるのですが、1993年にご子息を亡くされたあとに「それまで無感動に見つめていた写真や資料、そしてなにげなく読んでいた文学作品の意味を新たな目で理解することにもなった」と書かれています(『愛する家族を喪うとき』)。

保阪 息子は22歳の時に死んで、もう26年くらい経ちますが、やっぱり忘れる日はないですね。1日に1回は、必ず自分の中で出てくるんです。何かの拍子に、例えば電車に乗っていて「ああ、息子と似た顔をしている人がいるな」とか、「今生きていたら、これくらいの年齢か」とか考えるんです。涙がでることもあります。

 それがものを書くということにどういう意味があるのかということに関して言えば、ある日、息子が高校から帰ってくるなり、僕の仕事部屋へ入ってきたことがありました。「お父さん、特攻隊は偉いと思う?」と聞くんですね。「なんでそんなこと聞くの?」と尋ねると、息子が「今日学校で先生が、『あなたたちよりも4つか5つ上の若者が死んでいった』と言って泣いた」と言うんですよ。「俺だって、泣いたと思うよ」と伝えたところ、息子はさらっと「でも、泣いてどうするの?」「特攻隊だけじゃなくて、体当たり攻撃されたアメリカ軍の空母に乗って死んだ若者にだって、人生があったんじゃないの。その人たちは追悼しなくていいのか」と言う。僕は息子からこの話を聞いた時、全く新しい世代が出てきたんだなと思ったんです。つまり、僕は特攻隊として死んでいく日本人のことしか考えてこなかったけれど、それ以外の人間のことを考えるという世代が出てきたんだなということを、改めて思ったんですね。

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歴史家の一歩は、仮託することから

――つまり、ご子息を通じて、保阪さんのなかにもうひとつの視座ができたと……。ネット時代の激しい左右対立の時代に、これからの歴史家はどういう態度で仕事をしていくべきなのか、最後に伺いたいと思います。

保阪 歴史家に限らず、「俺の親父はどうやって生きたんだろう。おふくろは、おじいさんは……」と考えるのが人間の筋道だと僕は思います。それは歴史家の第一歩。先達はどう生きたんだろうと考えるのは、歴史の中に自分を位置づけていくことですよね。

 その時、絶対やってはいけないのは「ジャッジメント」です。自らが天空の一角に座ったかのごとく「これはいい」「これは悪い」とジャッジすること。そういうことをする人は政治家の中には大勢いるし、右にも左にもいます。そういう不遜な態度を反省して、きちんと事実を見るべきなんですね。

 

――「私達は天空の一角に鎮座して昭和史をジャッジメントする権利をもっているわけではないとの謙虚さ」と共に、「もし自分があの時代に生きていたらどのような生き方をしただろうかという想像力」(『令和を生きるための昭和史入門』)が必要だと書かれていますね。

保阪 そうです。仮託するということですよね。例えば自分が特攻隊員だったら、乃木希典だったら、大山巌だったら、あの時どうしていただろう……と考えることから、歴史家の一歩が始まるのだと思います。昭和史については、当然ながら当事者たちは亡くなっていくのですが、彼らが残した資料、それから彼らの息吹を伝えるような子供の世代や第三者はまだいる。僕らは戦前を同時代史的に見てきたけれども、これからの世代の人たちは、戦後を見ることによって、戦前を浮かび上がらせることができるだろうと期待しています。

 

写真=佐藤亘/文藝春秋

令和を生きるための昭和史入門 (文春新書)

保阪 正康

文藝春秋

2019年6月20日 発売