文春オンライン

きっかけは「店に持ち込まれた弱ったハヤブサ」 ペットショップの社員が“鷹匠”になるまで

『さらば! サラリーマン 脱サラ40人の成功例』吉田剛之さんのケース

2019/06/30
note

2013年、40歳で鷹丸を起業できた理由

 鷹丸を起業したのは2013年。40歳のときだが、それにしても思い切りよく新奇な商売を始めている。成否のデータなど何もない分野だ。吉田さんはいったいどういう経歴で、何を思って鷹匠に行き着いたのか。

 生家は現在の事務所と同じ場所だった。小松市芦田町。1972年生まれで、父親は小松製作所の下請け工場で重機を扱っていた。家の周りは田やレンコンの池で、カエルやザリガニ、魚や昆虫がウジャウジャいた。地元の公立小・中学校に通い、県立寺井高校に進んだ。その後、金沢科学技術専門学校に入り、水産養殖学科を選んだ。

 ここでタイ、ヒラメなどの養殖を手ほどきされ、休みの日にはペットショップでバイトをした。犬、猫、蛇、ゾウガメなど、ペット全般を扱った。根っからの動物好きだから、ペットの面倒見は全然苦痛はなかった。

ADVERTISEMENT

©iStock.com

 専門学校を20歳で卒業、北陸でペットショップや遊園地を展開する大手のT社(本社・石川県能美市粟生町)に入った。以前のアルバイト先がT社の系列店だった縁からの入社だ。ペット事業部ではペットを赤ん坊のときから扱う。餌をやっているうち犬はすぐ大きくなる。と、売れ行きは落ちるのだが、熱帯魚など魚は逆に大きくなると引き取り手が増える。ペットの飼育はついかわいさが先に立ってしまうが、一般の飼い主の気持ちも分かっていないと、営業はうまく進まない。

 吉田さんは能美市の本社から金沢店、本社、福井店、本社と、ときおり異動を挟んで20年あまり勤め、最後は本社ペット事業部の課長になった。

 だが、国産の鷹はペット店で扱えない。鷹に限らずワシ、ハヤブサ、フクロウなど日本産の猛禽類は法で保護され、売買の対象にはできない。吉田さんはどのようにして猛禽類に出会ったのか。