NHK「ニッポンのジレンマ」、テレビ朝日「朝まで生テレビ!」で注目を集めた、1980年生まれの気鋭の政治学者、三浦瑠麗(みうら・るり)さんが今月『日本に絶望している人のための政治入門』を刊行した。民主主義国ほど戦争に歯止めが利かなくなるという逆説を指摘した最初の著書『シビリアンの戦争』(岩波書店)も高く評価されているが、一般向けの本は初めてだ。著者の三浦さんに本書の読みどころを聞いた。
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――インパクトのあるタイトルですね。「政治には何も期待できない」というのは、多くの人々、とくに若い人々の実感である気がします。
政治に関心を持たなくても、日々の生活がとりあえず回っているというのは、ある意味で幸せなことかもしれません。社会のなかで、あるいは生活のなかで「政治」があまりに大きな比重を占めるのは、良いことではありません。むしろ今の日本にノンポリが多かったり、選挙の投票率が低かったりするのも、一概に悪いとは言えませんし、社会のある種の健全さの証しでもあります。
とはいえ、「政治」は、確実に「我々の未来」とつながっています。
その「政治」と「我々の未来」が具体的にどうつながっているのかを示したくて、今回のような本を書きました。今の子供たちの未来を決めている大人の端くれとして、こんな政治を行うべき、という訴えもところどころ紛れ込ませています。
――しかし、「政治」というと難しいと敬遠する人が多いように思います。
「政治」を敬遠したくなるのにも理由があるように思います。「政治」を論じるジャンルとして「政治評論」と「政治学」がありますが、どちらも少々偏っていて、多くの方からするとリアリティに欠け、「世論」と「政治」を結びつける役割を十分に果たせていないのではないでしょうか。
いわゆる「政治評論」は、暴露話や陰謀論など永田町の内幕的な話ばかりで、ウェットなものが多すぎます。それに対して「政治学」の方は、“科学”たろうとして小難しい政策論議や選挙分析の詳細に入っていくものが多く、こちらはドライすぎる。これでは、「政治」は、多くの人にとって「遠い世界」の話になってしまっています。適当な湿度でないと、人間も生活しづらいのと一緒ですね。
そもそも、きわめて人間的な営みで、「サイエンス(科学)の部分」と「アート(感情)の部分」の両方が関わっているのが「政治」です。その両方を見すえて、「日本の政治」を読むためのリテラシー、つまり読者がわが事として「政治」を考えるのに役立つような手がかりや材料を提供しようと、政治評論でも政治学でもないスタイルの“使えるガイド”としてブログを始めました。本書はそのブログ「山猫日記」が元になっています。