三浦瑠麗氏

 戦争と戦後について考える年がまためぐってきました。戦後四〇年には中曽根総理が八月一五日に靖国神社に参拝し、中国が反発しました。戦後五〇年には、以後の政府による歴史認識の基盤となる村山談話が発せられました。戦後六〇年には、小泉総理は村山談話を引き継ぐ談話を出したものの、翌二〇〇六年八月一五日には再び靖国神社を参拝します。

 日本を取り巻く内外情勢は変化の渦中にあり、戦後七〇年はこれまでの節目よりもさらに重要な意味を持っています。最大の変化は、米国が唯一の超大国として世界を仕切ってきた時代が終わったことでしょう。一〇年前の二〇〇五年、イラクとアフガニスタンで苦戦はしても、ブッシュ政権は二期目冒頭にあり意気軒昂で、世界経済は金融危機前の資産バブルの只中にあって絶好調でした。一〇年の変化には改めて驚かされます。

 日本にとっては、米国の変調に加え、国民感情に根ざした中韓との冷たい関係や、対露関係など難問が山積しています。日米関係さえうまく管理していれば何とかなった戦後は終わり、日本は自ら決断し、その責任を負う時代へと入ってきているのです。そんな時代に、権力を付託されたのが安倍政権です。積極的平和主義を掲げ、安定した基盤を有する保守の本格政権はどのような戦後七〇年外交を繰り広げるのでしょうか。

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総力戦に敗けた意味

 国内で、先の大戦をめぐる責任に関する立場は概ね出揃っています。保守は、敗戦国に一方的に戦争の惨禍の責任を帰することを不公平であると考え、戦後秩序の基盤をなす認識に修正を要求しています。ここで注意すべきは、それが認識への異議申し立てであって、戦後秩序そのものへの挑戦ではないということです。他方、左派は、戦争責任を無条件で引き受けることが戦後秩序の果実を守ることに繋がると考え、あらゆる修正への試みを否定しています。

 双方の立場は、国内冷戦ともいえる左右対立の中で形成されてきたものですが、現実の政争の中で、それぞれに飛躍や誤謬を抱え込んでしまいました。確かに、保守がいうように歴史学は戦勝国の側にも多くの不正義があったことを実証しています。ただ、日本だけが責任を負うものではないことと、日本が免責されることは話が別であることは確認しておかねばなりません。左派は、歴史認識をめぐる議論が国際社会における生々しい権力政治の道具であることにナイーブであった結果として、多くの国民の共感を失いつつあります。

 思うに、左右両陣営が抱え込んだ誤謬は、日本が総力戦の意味を理解していなかったことに起源があるのではないでしょうか。日本は、欧州がその苦しみを刻みこんだ形では第一次世界大戦を経験しませんでした。だからこそ、「空気」に支配される中で、戦略的に破綻している対米開戦に突入してしまったのです。

 誤解を恐れずに言えば、「非総力戦」の世界には善悪の概念は乏しいわけです。そこにあるのは、力と利益の論理であり、外交政策の手段としての戦争です。保守派が「日本だけが悪いわけではなかった」と言うときには、この世界観を前提としています。対して、総力戦を戦うには圧倒的な国民の動員を必要とします。そして、民主国家が国民を大量動員するためには、敵国を悪魔化せざるを得ないのです。第一次世界大戦から、戦間期の理想主義を経て第二次世界大戦を迎える頃には時代は完全に変わっていたのに、日本はその変化を的確に認識できていなかったのです。

 戦後という時代は、連合国が総力戦を戦う中で作り上げた物語を土台に成り立っています。連合国の政府の正当性を支える根幹に、ファシストに対して立ち上がったという物語があります。このような素朴な物語は、学問の世界においては乗り越えられつつあっても、政治的な舞台の中心では揺るぎない信念をもって信じられており、強力に再生産され続けているのです。

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