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 また、当時の社会に限っても、指導者の責任は国民の責任より重いと言わざるをえません。なぜなら指導者は実際に開戦/非開戦の決断を下し、国の運命を決する重責と機会を手にしていた存在だからであり、その任に堪えない者が就くべきではないからです。非民主的な体制であった場合は尚更です。だからこそ、東京裁判で主に攻撃的戦争開始の罪で裁かれたA級戦犯の罪が、戦争に付随した罪としてのBC級戦犯に対する処遇よりも特別に受け止められているのです。攻撃的戦争を仕掛けることは戦争における悪の始まりです。そこに至ってしまった戦前の日本がどこで道を誤ったのか、民主主義を放棄した点も含め、その教訓を導くことは重要です。しかし、その教訓は、現在の日本人にとってだけの教訓ではなく、全人類の教訓であるべきなのです。

 この論点が特に難しいのは、現在の東アジアに関する限り、過去の責任の次元と、目の前にある懸案の次元の間に倒錯した関係があるからです。戦争の責任を背負い、反省すべきとされる日本は戦後一貫して平和国家としての道を歩み、今日に至るまで力による国際紛争の解決に反対しています。対して、過去の戦争責任を追及する主要な主体が、現在の国際社会における現実の懸案について力による解決を推し進めているという実態があります。現在の中国のことです。

 もちろん、日中戦争の結果生じた中国側の犠牲と悲劇はどこまでもリアルなものです。その記憶から生じる怨恨には真正なものがあるでしょう。日本は決してその点を過小評価すべきではない。けれど、七〇年前の戦争の責任を云々する国家が、周辺国との摩擦を引き起こしながら拡張主義をとり、自国民の人権を保障していないとするならば、攻撃的戦争に至る教訓を学ぶべきは一体誰なのかという疑問が生じるわけです。

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戦後七〇年外交の進むべき道

 以上のような構造を踏まえるならば、安倍政権による戦後七〇年外交をどのように展開していくべきかが見えてきます。本格的な保守政権として積極的平和主義を掲げる安倍政権の究極の外交目的は、日本という国家の存在感を確保し、国民のプライドを保持することにあります。戦後の日本において、存在感を語る場合、その中心には経済的繁栄がありました。アベノミクスを推進し成長戦略を重視するというのは、戦後の正統と整合的な政策です。従来の方針から踏み出しているのはいわゆる積極的平和主義の発想です。

 積極的平和主義(Proactive Contribution to Peace)という言葉から国際社会が受ける印象は、リベラルな価値観に基づいた世界秩序を目指す多国間協調です。冷戦後の国際社会は、核の恐怖から解放され、地域紛争の抑止、人権の擁護、環境の保全などをより直接的に求める世界へと変化しました。その流れの延長に位置づけられるテロ対策や、ジェンダー政策や、公衆衛生などの重要課題に取り組むことが究極的には平和にも資するという視点です。この方向性で日本外交を展開していくことは正しいし、高く評価されています。

 私が提案したいのは、このような積極的平和主義の考え方に、過去の戦争からどのような教訓を導き出すかという視点を加えることです。日本は、攻撃的戦争に反対であるがゆえに力による一方的な国際秩序の変更に反対である。政府間の不信の下では軍拡競争が大戦争を招くことを経験として知っているがゆえに、不透明な軍備拡張に反対である。軍事優先の風潮と市民社会の未成熟、また言論の抑圧が攻撃的政策を改められない結果をもたらしたがゆえに、国民から基本的人権や民主主義を奪うことに反対であると訴えるべきなのです。

 何も、中国に対するあてつけで言っているわけではありません。敗戦国に生まれた我々であるからこそ、戦勝国の政治が陥りがちな、素朴な勧善懲悪の歴史観を乗り越えた世界観を語ることができます。我々はどこで誤り、再び戦争の惨禍を繰り返さないために何を学ばねばならないかという教訓を語るのです。そのときの、「我々」とは、「日本人」でもあるけれど、「人類」でもあるわけです。戦争の教訓を積極的に語ることで、同時に、自由や平和や民主主義などについて、日本なりの普遍主義を形作ることもできるでしょう。それでこそ、日本という国が何を大切にする国であるかが世界に伝わるのです。

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